裁判所トップページ > 裁判所について > 広報誌「司法の窓」 > 司法の窓 第64号 > 「映画の制作と裁判」対談全文 > コートに吹く風は
コートに吹く風は
裁判所の門をくぐってみると
- 岡久
- 今日は東京簡易裁判所にお越しいただき,ありがとうございます。沢松さんとお話しできるのを非常に楽しみにしておりました。
- 沢松
- よろしくお願いいたします。職業柄,いろんな場所へ行っていますが,裁判所にお邪魔したのは初めてです。今まで裁判所というと,何となく敷居が高く,正直言って,あまりお世話になりたくない所と思っていたんですが(笑)。今日,拝見してみて,意外と明るく開かれた所だったんだなと思いました。特に,1階ホールのステンドグラスや受付のオープンカウンターが,明るい雰囲気を醸【かも】し出していますね。
- 岡久
- 簡易裁判所に来られる方の中には,初めて裁判所の門をくぐるという方が多いのです。そういう方たちは,やはりとても緊張して来られます。そこで,少しでもリラックスしてお話をしていただけるように,雰囲気だけではなく,様々な工夫を凝らしています。また,1階ホールにある「総合案内」では,来られた方のご用向きを伺って,そのご用向きに最も適した所にご案内するよう配慮しています。
- 沢松
- 「受付相談」の窓口では,随分大勢の方が利用されていて驚きました。これだけ多くの方が,気軽に訪れることができる身近な場所だったんだなと思いました。また,裁判所というと堅いイメージで,職員の方はきっと男性ばかりなんだろうと思っていましたが,女性の職員の方も多いんですね。
- 岡久
- そうなんです。最近は特にその傾向が強く,若い職員の場合には,ほぼ半数が女性です。意外かもしれませんが,裁判所は,女性にも人気のある職場なのです。
-

【さわまつ・なおこ】
兵庫県西宮市出身。曾祖父から続く名門のテニス一家に生まれる。父母ともにウィンブルドン出場。叔母吉田(旧姓沢松)和子はウィンブルドン女子ダブルス優勝者(1975年)。ドイツ在住の5歳のころから自ら進んでテニスを始める。9歳のときジュニア公式戦にデビュー。帰国後11歳のとき全日本ジュニア優勝。1989年(平成元年)の全日本選手権初出場初優勝をはじめ,国内大会優勝多数。1991年(平成3年),神戸松蔭女子学院大学入学と同時にプロ転向。WTA世界ランキング最高14位。1998年(平成10年),トヨタ・プリンセスカップを最後に現役引退。現在は,テニス解説者,日本オリンピック委員会事業広報委員,神戸松蔭女子学院大学講師ほか,多方面で活躍中。
【主な戦績】
- 1990年(平成2年)
- DHLシンガポールオープン 優勝
- 北京アジア大会 団体金
- 1991年(平成3年)
- ボルボ女子オープン 準優勝
- 全仏オープン ベスト16
- 1992年(平成4年)
- ストラスブール国際 準優勝
- ウィンブルドン ベスト16
- 1993年(平成5年)
- ビクトリアン女子オープン 準優勝
- ストラスブール国際 優勝
- 1994年(平成6年)
- シンガポール・クラシック 優勝
- 広島アジア大会 団体金・個人銀
- ウィンブルドン ベスト16
- 1995年(平成7年)
- 全豪オープン ベスト8
- 1997年(平成9年)
- ダナモンオープン 優勝
初めてコートに立って
- 岡久
- 沢松さんが初めてウィンブルドンのコート【COURT】に行かれたのは,いつのことでしょうか。
- 沢松
- 6歳のときです。当時,ドイツに住んでいたんですが,両親に連れられて,飛行機でイギリスに行き,電車を乗り継いで,やっとの思いでウィンブルドンにたどり着き,観戦しました。
- 岡久
- そのときの印象はいかがでしたか。
- 沢松
- 試合のチケットを買うために,朝から半日近く並んで待ちました。当時,私は小さかったので,「何でこんなに暑い所で長い間並ばなければいけないの」とわがままを言って泣いたようです。ところが,ゲートをくぐり試合場の敷地に一歩足を踏み入れた瞬間,それまでのつらさが吹き飛ぶくらいの感動がありました。ウィンブルドンの「風」とでもいうのでしょうか,言葉ではなかなか表現できないのですが,大歓声とともに吹いてきた「風」がすごく気持ちよくて,テニスをするからにはここで「絶対」プレーしたいと子供心に思いました。
- 岡久
- プロテニスプレーヤー・沢松奈生子さんの原点ともいうべきところでしょうか。
- 沢松
- そうですね。それまでもテニスはしていましたが,楽しいものというくらいで,それほど大きな目標があったわけではなく,プロというのはどういうものかも全然知りませんでした。それが,ウィンブルドンに行ったことで,私の中に,これだけ多くの方が,長時間並んで,チケットを買って見てくださるようなコートの中でテニスをしてみたいという夢ができたのです。そして,「私は絶対ここに戻ってくる。それも,観客としてではなく,選手として」と強く心に誓ったのです。
- 岡久
- その後,夢を実現されて,何度もウィンブルドンの大会に出られたわけですが,初めてセンターコートに立たれたときはいかがでしたか。
- 沢松
- そのときには,ただ,ウィンブルドンのセンターコートに恥ずかしくないテニスをしたいという思いだけでした。本当によく試合に集中できました。いつも,ああいう気持ちでプレーできていればもっとよかったのですが(笑)。
- 岡久
- 場の雰囲気というのは非常に大きいですね。裁判所のコート【COURT】(法廷)には,今日初めて立たれたとのことですが,雰囲気はいかがでしたか。
- 沢松
- 法廷は,一人一人にとってとても大きな問題を扱う場所,ある意味人生を左右しかねないような判断がされる場所ですよね。それだけに,厳粛な場所だろうと想像はしていました。実際,法廷に入ってみると,裁判官の目線の高さを始め全体的な雰囲気は,私の抱いていたイメージどおりでした。
ところで,先ほど中央に丸いテーブルが置いてある法廷がありましたが,普通の法廷とどのような違いがあるのですか。
- 岡久
- あれは,「ラウンドテーブル法廷」といいます。簡易裁判所は,争われている金額が比較的小さいもめごとを扱う所ですので,弁護士等が代理人として付かずに本人ご自身が来られるのが大半なんです。それで,できるだけ当事者が話をしやすいように,ラウンドテーブルを活用しています。
- 沢松
- 雰囲気作りにも随分配慮されているんですね。日本人の気質から考えると,丸いテーブルを囲んで裁判官や相手と話をするというのはとてもよいと思います。
- 岡久
- ラウンドテーブル法廷については,和やかな雰囲気の下で自分の思っていることを十分話せるということで,多くの方から好評をいただいています。そのほかにも,簡易裁判所では,通常,裁判官は,当事者に手続の説明をしたり,当事者から事情を聴いたりする場合には,できるだけ,法律用語ではなく一般の方に分かりやすい言葉を使うようにしています。「原告」とか「被告」という言葉も,ラウンドテーブル法廷では使わないようにしてご本人の名前を呼ぶようにしていますし,法服も着ないんですよ。
- 沢松
- いろいろな工夫をされているんですね。
自分を鍛える
- 岡久
- 沢松さんは,学業とテニスを両立されたと伺っていますが,どのようにされていたのですか。
- 沢松
- 10歳のころから,自宅で朝5時半くらいから8時くらいまで練習をした後,学校に行き,放課後,自宅に戻って,また練習をするという生活でした。
- 岡久
- つらい思いもされたかと思いますが,何か支えはあったのですか。
- 沢松
- 家族の支えがあったことが何よりですが,ドイツから帰国した10歳のときのコーチとの出会いも忘れられません。当時,私は,まだ,親から練習をさせられているという気持ちがどこかにあって,やる気なさそうにボールを打ち合っていたのです。すると,その方は,何も言わないで急に車で帰られたので,私は,泣きながら追いかけて謝り,練習を再開してもらったのです。そのとき,私は,そのコーチから,「テニスは,人からさせられてするものではなく,本当に自分からやりたいと思って自分のためにするものだ」ということを教わりました。その方には,プロになった後も,技術面だけではなく,精神的な面でも随分支えていただきました。また,ずっと後になって,全く無報酬でコーチしていただいていたことを知りました。私を強くしたいという純粋な気持ちだけで,長い間,それも朝早くから,お付き合いくださったのです。
- 岡久
- 沢松さんのご活躍の陰には,そのような素晴らしいコーチの支えもあったのですね。
- 沢松
- 裁判官の場合,さすがにコーチというのはいないと思いますが(笑)。どのようにしてプロとして成長されるのでしょうか。
- 岡久
- コーチはいませんが,裁判官にも訓練があります。単に法律知識を身に付けるだけでなく,正確な事実認定と客観的・合理的判断ができるように自己鍛錬をしています。また,司法修習を終えて間もない若い裁判官にとっては,3人の裁判官で行う合議制の裁判にかかわり,先輩裁判官2人と合議する場で訓練するのが大きいですね。合議では,3人がそれぞれの意見を述べて,議論をします。ほかの裁判官の意見が自分の意見と違うとき,その裁判官の意見の根拠や観点を十分理解した上で,自分の意見を再検討することになりますが,そのような合議の経験を経ることによって,多面的なものの見方が身に付きます。そうすると,一人で裁判をする場合であっても,自分で正しい結論だと思ったことを別の観点や立場から批判的に検討し直すことができるようになります。裁判官としての公正さ,客観的・合理的判断というのは,そのような鍛錬を経て養成される面がかなりあります。
- 沢松
- テニスの場合にも,審判には,公正な立場から,毅然【きぜん】とした態度で的確な判定をしてもらいたいと思いますが,事件を扱う裁判官にもそういったものが強く求められるのでしょうね。それだけに,裁判官としての鍛錬というのも大変そうですね。
- 岡久
- 裁判所の中で事件を通じて知識経験を得たり,自己鍛錬をしているだけでは,「裁判官は世間知らずだ」という批判も出てきます(笑)。そこで,最近は,ものの見方の幅を広げるため,裁判官も,裁判所以外の経験をした方がいいというふうになってきています。海外留学をしたり,民間企業に1年ほど研修に行くことがあります。また,若手の裁判官が一定期間弁護士事務所へ行って弁護活動をするという研さんシステムも近く採用される予定です。一種の武者修行ですね。沢松さんも,数々の海外遠征をされていますが,いかがですか。
- 沢松
- 海外を転戦することで,確実に人間としての幅が広がったと思います。日本では当たり前のことが当たり前ではない。例えば,練習コートを確保するのはもちろんのこと,練習ボール一つとっても,自分で積極的に求めていかないといけないというのが最初に感じたことです。日本では,試合会場に行けばコートもボールも当たり前のように用意されていたんですが(笑)。
また,私たち日本人選手は,まじめ過ぎて,オフの休暇が事実上ほとんど取れないのです。今日は休みだと思っても,頭の中は休んでいない。その点,海外の選手,特に大物選手は,切り替えがうまいですね。オフが終わった後の彼女たちのテニスの充実度は格段に違いました。そこが一番私に足りないところだなと感じました。
期待に応えて
- 岡久
- ご自宅が阪神・淡路大震災で被災したとき,オーストラリアにとどまって,全豪でベスト8になられたというエピソードも印象的でした。
- 沢松
- 大震災で自宅が全壊したのを知ったのは,試合開始直前でした。そのまま試合に出るべきか,家族のもとに帰るべきか,すごく悩みましたが,電話に出た叔母から,「あなた一人が,今すぐ飛んで帰ったところで,何ができるの?今あなたはオーストラリアンオープンという大舞台にいるのよ。そこで素晴らしい試合をして,被災した人たちを勇気づけることがあなたにできることじゃないの。もっと大きなことができる所にいるのに,帰りたいだなんて。あなた,それでもプロなの?」と言われたんです。確かにそう言われてみると,なるべくいい試合をして,その姿を自分の家族を含め被災された方々に見ていただくことが,私に今できることなんだという気持ちになって,後はもう必死でした。
- 岡久
- いつもなら手の届かないようなボールにも手が届くという感じだったんですか。
- 沢松
- そうなんです。あのときは,体がだれかに押されているような感じで,いつもは取れないと思ってあきらめていたボールにラケットが届いて取ることができたんです。あのときばかりは,世の中には何か見えない力というものがあるのかもしれないと感じました。
- 岡久
- そういう特別の状況の中で,集中力が非常に高まっていたんでしょうね。それも,プロ意識の表れのように思いますが。
- 沢松
- そうかもしれません。ところで,裁判官の方々も,特にプロであることを意識して仕事をされるような特別の場面というのがあるのですか。
- 岡久
- 裁判官にとっては,事件1件1件に対応するときが,いつも「特別の場面」です。私の場合は,特に法廷に入る直前,自分が裁判官であることを強く意識します。法廷に法服を着て入っていくとき,気持ちの上で,生身の人間である私個人から国民が期待している「裁判官」に変わるんです。そして,私心を去って,裁判官として,公正妥当な訴訟指揮と客観的で合理的な判断をする。そういう気構えをして呼吸を整え,法廷のドアをさっと開けて中に入り,法壇に上るようにしています。もっとも,法廷に入る際の作法は,それぞれの裁判官によって異なるでしょうが(笑)。
現在,日本以外の多くの国の裁判官も,法廷では法服を着て,法壇の上に座ります。これには,長い伝統と深い意味があるのですが,わが国では,最近,民事事件について,裁判官が同じ目線で当事者と対話をした方が良い場合もあると考えられるようになりました。そこで考え出されたのが,先ほどお話ししたラウンドテーブル法廷での審理方式です。
- 沢松
- そうなんですか。
- 岡久
- 訴訟では,「和解」といって話合いによる解決方法もあります。判決の場合には,過去の事実を確定し,法律に従って一刀両断的に白黒をつけることになりますが,和解の場合には,裁判官も加わって,話合いにより両方の当事者が納得できる形で前向きの解決をすることもできます。和解により両当事者が納得できる結果を出せたときは,裁判官としても,当事者の期待に応えることができたという大きな喜びがあります。
- 沢松
- 素晴らしいプレーをして大観衆から拍手喝采【かっさい】を受けたときの満足感に似ているのでしょうね。
すそ野は広がる
- 岡久
- 先日,新聞で「一万人のテニスの輪」という活動のことが紹介されていましたが。
- 沢松
- これは,より多くの人にテニスの楽しさを知ってもらいたい,すそ野を広げたいという思いから始めたものなんです。平成15年10月,一緒にテニスをした方が1万人に達しまして,次は2万人を目指して頑張っています。
- 岡久
- 素晴らしい活動ですね。裁判所でも,裁判制度や裁判所への理解を深めていただくように,新たな取組を始めています。例えば,東京地裁では,傍聴に来られた方に法廷の状況を裁判官が説明するという試みをしております。夏休みや冬休みには,小学生や中学・高校生向けに裁判所巡りツアーをしています。そのほか,学校に裁判官を派遣して,裁判制度についての講演をしたり,小学生に裁判官役などを体験してもらう模擬裁判も行っています。
- 沢松
- 子供のころに裁判所を見学して,いろいろなことを教えていただいていれば,私も「絶対」裁判官になろうと思ったかも知れませんね。
- 岡久
- おや,裁判所のコート【COURT】(法廷)にも「風」が吹いていましたか(笑)。
- 沢松
- さすがに「風」は吹いていませんでしたが,それに代わる何かを強く感じました。
- 岡久
- ところで,平成16年4月からは,簡易裁判所で取り扱う民事訴訟の金額の上限が90万円から140万円に引き上げられ,より多くの方が簡易裁判所を利用できるようになります。
- 沢松
- 簡易裁判所のすそ野が広がることになりますね。
- 岡久
- 国民の期待に応えられるように,私たちもより一層頑張りたいと思います。
今日は,非常に素晴らしいお話をしていただき,ありがとうございました。テニスのラリーはできませんでしたが,対談という形で,素晴らしい言葉のラリーをしていただきました。どうもありがとうございました。
- 沢松
- ありがとうございました。