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高等裁判所 判例集

事件番号

 平成27(う)1017

事件名

 業務上過失致死被告事件

裁判年月日

 平成27年10月30日

裁判所名・部

 東京高等裁判所  第5刑事部

結果

 棄却

高裁判例集登載巻・号・頁

原審裁判所名

 長野地方裁判所  松本支部

原審事件番号

 平成26(わ)52

判示事項

 山岳ガイドの業務に従事していた被告人が,有料登山ツアーを企画,主催し,5名の女性登山客を引率して,降雨の中,登山を開始し,その登山道上で天候悪化のため,登山客らを強風,みぞれ,吹雪等にさらさせて,追従,歩行ができない状態に陥らせ,そのうち4名を低体温症で死亡させるに至ったという遭難事故について,過失判断の前提としての予見の内容としては,遭難事故となる危険性のあるような天候の悪化の可能性で足り,それ以上に,現に生じたような著しい天候の悪化の可能性は予見の対象とはならないとして,被告人に過失を認め,業務上過失致死の責任を認めた原判決を是認した事例

裁判要旨

 1 本件事案の概要等について
 本件は,社団法人甲(当時)が認定する「上級登攀ガイド」の資格を備え,山岳ガイドの業務に従事していた被告人が,富山県黒部市内の祖母谷温泉から白馬岳,朝日岳,栂海新道を経て親不知に抜ける5泊6日の有料登山ツアーを企画,主催し,当時53歳から67歳までの5名の女性登山客を引率し,1名の山岳ガイド見習いを随行させ,登山1日目の行程として,平成18年10月7日午前5時過ぎ頃,降雨の中,祖母谷温泉山小屋から長野県北安曇郡白馬村内の白馬岳山頂直下の白馬山荘を目指して,夏山の晴天時に想定される標準的なコースタイムが約9時間30分とされる登山コースの登山を開始し,午前10時15分ころ不帰岳山頂直下の避難小屋を経由し,高度2000mから2500mになる清水尾根を経て清水岳山頂直下まで進み,さらに旭岳山頂直下を経て白馬山荘に向かったが,その登山道上で,天候悪化のため,上記登山客らを強風,みぞれ,吹雪等にさらさせて追従,歩行ができない状態に陥らせ,そのうち4名を低体温症で死亡させるに至ったという遭難事故について,被告人に業務上過失致死の責任が問われた事案である。
 原判決は,本件登山の前日には気象状態の悪化を予想する天気情報が出ていたこと,登山開始時から降雨が続いていたこと,この時期の北アルプスの天候,登山コースの地形的特徴,被害者らの装備などに照らせば,被告人と同等の立場にある通常の山岳ガイドとしては,登山を続行すれば天候悪化により被害者らが稜線上で強風,みぞれ,吹雪等にさらされて凍死に至る危険性を予見することができたから,被告人には,遅くとも清水尾根の途中において登山を中止して不帰岳の避難小屋に引き返すなどして遭難事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるとして,その義務に違反して,登山を中止することなく,漫然登山客らを不十分な装備のまま引率して登山を続行して遭難事故を生じさせた被告人の過失を認め,4名に対する業務上過失致死罪が成立するとした。
 (中略)
 2 結果の予見可能性について
  弁護人は,本件においては結果の予見可能性がなかったとして,以下のように主張する。
 すなわち,低体温症は,寒さ,体の濡れ,風という3つの条件下にさらされ続けた場合に発症しやすいとされるところ,被害者らは,白馬山荘手前約293m又は約157mの地点までは到達し,その地点で強風により移動が困難な状況に陥ったものであり,衣服の防寒性能は風の強さによっても大きく影響されるのであるから,現場の風の強弱により因果的結果の発生の可能性に大きな差が生じ得るものといえ,本件では,死亡に至る因果的経過において,現場で移動困難なほどの強風が吹いていたことが大きな要素となるのであるから,本件で過失の前提となる予見可能性は,単に冬型の気圧配置からの天候の悪化のおそれを認識し得たというだけではなく,人命を奪うような風速30m以上の暴風雪を受ける可能性を認識し得たことを要するというべきである。
 ところが,遭難当日には,日本の南岸にあった温帯低気圧が三陸沖を通過する際に台風並みに発達し,後に「爆発的低気圧」としてテレビ番組内で特集が組まれるほどの,特異な気象状況であったもので,そのために通常の冬型の気圧配置となった場合に想定される吹雪にとどまらず,本件遭難現場における移動を困難とするような激しい暴風雪がもたらされたものであるから,それによる死亡という因果の経過について予見することはできなかった。
 実際,前日に富山駅及び祖母谷温泉山小屋で被告人が見たテレビの天気予報の天気図によれば,本州南岸にあった温帯低気圧は東に抜けて天気は回復に向かうと考えられたから,現に生じたような強風等はもちろんのこと,遭難の危険を生ずるような天候の悪化を予想することはできなかったもので,天気が回復に向かうとの予想を立てたことは,一般人の知見において十分起こり得るところである。
  結果の予見可能性の内容について
  原判決が認定した結果の予見可能性の内容は,次のとおりである。
  すなわち,「前日には,本州南岸の温帯低気圧が発達を続けながらゆっくりと北上するとの発表も出されていた上,10月上旬の北アルプスは,降雪がある時期で,前記登山行程においても強風,みぞれ,吹雪等の気象状態の悪化が予想されたことに加え,前記清水尾根の途中からは樹木帯がなくなり,強風,みぞれ,吹雪等から逃れるための避難小屋のない中,稜線上を前記白馬山荘まで進行するコースとなることや,前記清水尾根の途中までの本件登山中の気象状態及び前記登山客の装備等からすれば,有料登山ツアーである本件登山等を企画,主催し,前記登山客を引率する山岳ガイドとしては,このまま本件登山を続行すれば,前記登山客が強風,みぞれ,吹雪,低気温等にさらされるなどして追従,歩行が困難となり,凍死に至る危険を予想することができた。」
 これに対し,所論によれば,原判決の認定のように気象状態の悪化の可能性とそれが現実化した場合に遭難事故となる危険を予見し得たとしても,現に生じたような著しい天候の悪化により移動を困難とするような厳しい暴風雪となることまで予見することができない限り,被告人に過失は認められない,ということになる。しかし,そのような所論には到底賛同することができない。
 すなわち,本件遭難事故は,本件有料登山ツアーを企画,主催し,山岳ガイドとして登山客らを引率していた被告人が,本件登山を続行する中で天候の悪化に見舞われて発生したものであるから,登山客を引率して登山を続行した被告人の行為が遭難事故の原因となったものといえる。このような被告人に対して過失責任を問うためには,普通に注意をしていれば天候の悪化による遭難事故の発生を予見することができたにもかかわらず,必要な注意を欠いてその予見をせずに登山を続行した,といえることが必要と考えられる。そして,遭難事故となる危険性のあるような天候の悪化が予見できれば,遭難事故を避けるために登山を中止することが期待できるのであるから,過失判断の前提としての予見の内容としては,「遭難事故となる危険性のあるような天候の悪化の可能性」で足り,それ以上に「現に生じたような著しい天候の悪化の可能性」は予見の対象とならないというべきである。
 これと概ね同旨の原判決の判断は正当であり,所論は理由がない。
  被告人の予見可能性について
 所論は,被告人が前日に富山駅等で見たテレビの天気予報の天気図によれば,本州南岸にあった温帯低気圧は東に抜けて天気は回復に向かうと予想され,一般人の知見において,現に生じたような強風等はもちろんのこと,遭難の危険を生ずるような天候の悪化を予想することはできなかった旨をいう。
 このうち,現に生じたような強風等の予見可能性が,被告人の過失の有無を判断する前提とならないことは,既に判示したとおりである。
 そこで,本件の際に,遭難事故となる危険性のあるような天候の悪化の可能性が予見できたかという点について検討する。
 原判決の認定及び原審記録によれば,以下のとおり認められる。
 すなわち,10月上旬の時期に,温帯低気圧が三陸沖に北上すれば本州付近は冬型の気圧配置となって天候が悪化し,北アルプスの山岳地帯では吹雪等となる可能性があることは,被告人と同等の立場にある通常の山岳ガイドであれば当然に承知している事柄である。被告人もそのこと自体の認識に欠けていたわけではない。そして,本件遭難事故の前日には,本州南岸の温帯低気圧が発達を続けながらゆっくりと北上するとの気象予報も出されていた。また,本件登山コースは,不帰岳山頂直下の避難小屋を過ぎ清水尾根を進むと,その途中から森林限界を超え,風雨をさえぎるもののない稜線上を進行する状態となるが,不帰岳山頂直下の避難小屋から白馬山荘に至るまで,夏山の晴天時に想定される標準的なコースタイムで4時間30分程度を要するとされる行程の途中には避難する場所はないというものである。このような本件登山コースの地形的特徴等は,登山ツアーを引率する通常の山岳ガイドであれば当然に把握しているべき事情であり,被告人も,本件登山の2年前に同じコースを登った経験もあって,熟知していた。また,被害者らは,遭難当時,雨具は着用していたものの,その下には,強風や吹雪にさらされても耐えられるような防寒具は着用していなかった。そして,外気が10℃以下で皮膚表面が濡れ,風に当たるという条件が重なると低体温症になり,これらの条件が長時間続いた場合には死に至る危険があるところ,このような低体温症の原因や危険性などに関する基本的な知識は,通常の山岳ガイドであれば備えているべきものであり,被告人も,その基本的な認識に欠けるところはなかった。
以上によれば,被告人と同等の立場にある通常の山岳ガイドであれば,本州南岸の温帯低気圧が発達を続けながらゆっくりと北上することによって,本州付近が冬型の気圧配置になり,天候が悪化し,本件登山コース上で,登山客らが強風,みぞれ,吹雪等にさらされ,低体温症に陥って,追従,歩行が困難となり,遭難事故により死亡するに至る危険を予見することは可能であったと考えられる。

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