仙台高等裁判所長官

仙台高等裁判所長官

菅野雅之(かんのまさゆき)
(生年月日:昭和36年3月7日)

写真:仙台高等裁判所長官

略歴

 昭和60年に東京地方裁判所判事補として裁判官に任官し、その後、神戸地方裁判所、最高裁判所などで勤務しました。裁判所では、主に民事の裁判を担当しました。近年の経歴は、次のとおりです。

平成19年4月
東京地裁判事(部総括)
平成20年4月
最高裁審議官
平成24年1月
東京高裁判事
平成24年3月
東京地裁判事(部総括)
平成26年7月
最高裁民事局長兼行政局長
平成28年6月
宇都宮地裁所長
平成29年7月
東京高裁判事(部総括)
令和2年10月
知財高裁判事(部総括)
令和5年5月
仙台高裁長官

ご挨拶

 5月25日付で仙台高等裁判所にまいりました菅野雅之です。よろしくお願いいたします。

 仙台の地で勤務したり生活したりするのは初めてですが、第一印象は、住環境がよく整備され、非常に住みやすいということです。元来風光明媚な自然環境に恵まれている中で、バランスよく交通網や商業施設が発達して、食べ物もおいしく、住民の皆様もやさしく接してくださり、この地に住み着きたいような気持ちを起こさせるお土地柄だと思います。

 私は北海道の出身で、北国育ちということもあり、また、父方は福島の相馬地方の出身なので、半ば東北人という感覚があります。したがいまして、平成23年3月の東日本大震災の際にも、人一倍大きな衝撃を受けました。実は、私は、平成7年1月の阪神・淡路大震災の際には神戸で勤務しており、自らも被災した経験がありますし、東日本大震災の翌月には亘理や相馬等の被災地を訪れる機会があり、その際にも惨状を目の当たりにして、心を痛めたことを今も思い出します。今回も着任直後に、震災遺構の仙台市立荒浜小学校を見学させていただき、当時の被害の甚大さに改めて思いを致すとともに、復興が進んだものの、現時点においてもなお被災の爪痕が様々な形で多く残されていることも忘れてはならないと感じました。

 私は、裁判官になって38年程になりますが、そのほとんどの期間において民事裁判に関わる仕事をしてまいりました。裁判所は、最も訪れたくない場所ランキングを作ったら、普通はその上位に挙げられるような所だとは思いますが、トラブルに巻き込まれた際に皆様の権利を守る最後の砦となるべきものです。民事の裁判では、裁判所の敷居が高いがゆえに、守られるべき権利がないがしろにされてしまうということがなくなるように、裁判所職員一丸となって、中立性や公平さという裁判所の使命を守りつつ、利用者の皆様からみて利用しやすい裁判所を作っていきたいと思っております。今の世の中は、デジタル化を中心として、10年前には予想もしなかった急速な変動が生じており、裁判所においても、このような動きに対応して、各種手続のデジタル化を推進している過程にあります。このようなデジタル化の流れにより、手続がより利用しやすく、迅速なものとなるよう、そのメリットを最大限生かすとともに、裁判手続としての重みも忘れることなく、利用者の皆様、ひいては国民の皆様の納得感を高めるような裁判が実現していくよう、長官として必要な環境整備に努めてまいりたいと考えております。

 これから、私自身、この東北の地について、見聞を広めて、その風土や各県民の皆様の感覚にマッチした形で、より適切な紛争解決を実現することができるよう、全力を尽くしてまいりたいと思います。