木澤克之最高裁判事によるオンライン講義

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オンライン講義の実施について

令和2年11月16日,最高裁判所は,神戸市の須磨学園高等学校とウェブ会議システムでつなぎ,木澤克之最高裁判事によるオンライン講義を実施しました。

この講義は,次代を担う若い世代に,現代社会における司法の意義や魅力などを伝え,司法をより身近な存在として感じてもらうとともに,将来の進路選択の一助としてもらうために企画したものです。木澤判事は,法律が日常生活において身近なものであることや法律家の役割を具体例を挙げながら紹介するとともに,自身が法律に触れた契機や学生時代の勉強方法などのエピソードをお話しになりました。

ここでは,木澤判事の講話及び生徒から寄せられた質問の回答についてご紹介します。

写真:オンライン講義の様子

写真:オンライン講義の様子

講話「法と社会」

法律は身近な存在

皆さんにとって法律はとても身近なものです。たとえば,コンビニでの買物について考えてみましょう。コンビニでは,レジへ商品を持っていき,店員さんに代金を払い,商品を受け取ります。皆さんも,日常的にこのような買物をされていると思います。このような買物は,法律的にはどのように説明されるでしょうか。

実はこのとき皆さんは,コンビニとの間で売買契約をしています。それは,商品の対価としてお金を払い,これと引き換えに商品を自分のものにするという内容の契約です。「契約」という言い方をするとちょっと大げさで,あまり馴染みのないことのように感じるかもしれませんが,皆さんも,法律に定められた売買契約を日常的に行っていることになります。そして,契約を結んだらその内容を守らなければなりません。商品を売るコンビニはお客さんから商品の代金を貰える,商品を買うお客さんはお金を払えば商品を手に入れられる。このことが法律で保障されているからこそ,私たちは安心して買物ができます。もし,このような法律がなければ,お金を払っても商品が手に入らないかもしれないと不安になりますし,買物のたびにそのようなことを心配していてはキリがありません。争いごとの原因にもなってしまいます。

また最近では,レジで代金を払うときも,スマホやICカードをピッとかざすだけでお金を払ったことになりますね。これなども,よくよく考えてみると不思議なことです。皆さんはお金そのものを店員さんに払っていないのに,ピッとかざせば買ったことになる。売買契約でいうところの代金を払ったことになる。こうした支払方法を「電子マネー決済」などといいますが,こうした新しい技術が出てきた場合にも,法律などであらかじめルールや仕組みを作っておかないと,せっかくの技術もうまく使いこなせません。

法律家の役割

日常のごく当たり前のことも,あらかじめルールを定め,皆がそれを尊重することで成り立っています。今後,皆さんが社会を担っていくに当たっても,これまでのルールを変更した方が良いことや,電子マネーのような新技術の登場により,新たなルールを定める必要が出てくるでしょう。ここに,法律家という仕事の大きな役割・出番があります。法律家は,どのようなルールを作れば物事がうまくいくか,争いごとを防げるかを考え,社会の仕組みづくりに携わることができる仕事といえます。

一方,法律やルールは,残念ながらそれが破られたときのことも考えなければなりません。法律には争いごとや犯罪を未然に防ぐ役割が期待されますが,どうしてもトラブルになってしまうことはあります。例えば,コンビニでお弁当を買ったら賞味期限切れだったとか,お店の商品を万引きされたとか,そういうトラブルは必ず起こるわけです。

そのとき,一つ一つの事件・トラブルを解決するのが裁判です。裁判を通じた解決を積み重ねていくことで,ルールはより安定的に運用され,信頼されるものにもなっていくのです。そして,法律家は,検察官や弁護士,裁判官などの立場・役割で,こうした裁判に携わることになります。

法と社会

私は都内にある金物卸問屋の末っ子の三男として生まれ,皆さんくらいの年齢の頃から,父のそばで家の仕事をよく手伝っていました。卸問屋というのは,コンビニのようにお客さんに1つずつ商品を売るのではなく,言ってみればお店のためのお店です。お客さんに金物を売る金物屋,その金物屋を相手に,店頭に並ぶ商品を卸すわけです。継続的かつまとまった量の取引になるので,支払いもある程度まとめた方が便利になります。取り扱う金額も大きくなり,こんなときの支払手段として,私の実家では手形や小切手を使っていました。集金から戻ってきた従業員は,お金ではなく手形や小切手を父に渡しており,それを見て私は父に決済の仕組みを聞いたものです。

手形・小切手による決済の仕組みについて,買主であるお金を払う側が100万円などと金額を書き入れ,売主であるお金を受け取る側に渡し,手形・小切手を受け取った売主は,小切手であれば自分の好きなタイミングでいつでも,手形であれば買主と約束した日(例えば3か月後)に銀行に持ち込めば,その100万円を受け取ることができます。大きな額であっても手形・小切手1枚で済み,多額の現金を持ち運ぶ必要がないため安心して取引ができます。数え間違いなどを心配する必要もありません。なにより,今は手元資金がないけど3か月後にまとまったお金が入るので,それを支払いに充てたいといった商売の実態にかなっています。

こうした手形や小切手の仕組みが分かると,ほかにも色々なこと,社会や取引の実態というものがみえてきました。例えば,手形による決済をするということは,実際に支払いを受けられるのが先のことになるわけですから,その間の運用利益として利息が付いても良いはずです。しかし,見ているとどうも利息は付いていないようだ,なぜだろうと不思議に思うわけですが,実は,支払手段に応じてそもそもの価格が違っていたりするのです。

そして取り込み詐欺。例えば,大量の商品を現金払いで仕入れてくれる新たな取引先が見つかる。これは卸問屋としては嬉しいわけですね。こうしたところと取引を重ねていき,どんどん信用を深めて得意先になっていく。次第にその得意先が二次問屋みたいになり,こちらから商品をまとめてどかんと卸す。まさにそのタイミングで,とんでもない量の商品を未払いのまま持ち逃げされるわけです。

取り込み詐欺までいくと「社会勉強」などという言葉で片づけられるものではありませんが,学生のころから,少し年上の住み込みの従業員に囲まれ,父のそばで商売の実際を見聞きして学んだことは大きかったです。大学での法律の勉強とともに,私にとって法律と社会を理解するための「車の両輪」であったと思います。

大学で学ぶ

私が高校生の頃,ちょうど皆さんくらいの頃を思い返してみますと,上には兄が2人いるから家業を継ぐこともなく,大学でしっかり勉強して自分で食い扶持を確保しよう,自分で自分の身を立てようという思いが強かったように思います。この頃,友人から受験新報という法律家を志す人向けの雑誌を見せてもらい,法律家を目指す道があることも知りました。特に弁護士には,独立した自由な職業というイメージを持ちました。

他にも理由や事情はありましたが,大学は法学部に進みました。恥ずかしながら,私は大学に入るまであまり勉強をしてきませんでした。それに,自分が教科書を自発的に読んで勉強できるようなタイプではないということはよく分かっていました。そこで私は,大学時代,勉強せざるを得ないような環境や状況に自分の身を置き続けて,自分を追い込むという作戦に出ました。

例えば,大学では講義のほかにゼミという少人数での討論形式の授業があります。私は教授に頼み込んで多くのゼミに参加させてもらいました。そこで文章の書き方,本の読み方といった基礎的な勉強をさせてもらいましたし,法律についても色々な議論をしました。議論することではじめて気づくこと,本当の意味で知識として定着したことも多かったと思います。

自発的に教科書を読むだけで勉強ができるのは,一握りの天才だけなのかもしれません。自分で自分を律して勉強を続けるのは難しいことですが,どうしたらよいだろうと考え,私の場合,自分を成長させてくれそうな,怠けることが許されないような環境に絶えず自分の身を置くことにしました。また,教科書を読んでもよく分からなかったことも,色々な人と議論をすることで気づいたり,あるいは社会の実態を知ることで,本当の意味で理解することもたくさんありました。私は,学生時代を通じてそのようなことを学んだように思います。

長嶋茂雄さんのエピソード

皆さんは長嶋茂雄さんという1960年代に大活躍したプロ野球選手をご存知でしょうか。ミスタープロ野球とまでいわれるスーパースターで,大舞台やチャンスに滅法強く,実は私の大学の先輩でもあります。

長嶋茂雄さんには,あるとき職業欄に「長嶋茂雄」と自分の名前を書いたという逸話があります。ほかにも「ネバーギブアップしない」「開幕10試合を7勝4敗でいきたい」など,お茶目な迷言が数多く残っていますから,これも面白おかしいエピソードの1つと紹介されることが多く,おそらくそれで正しいとも思います。

ただ,もしかしたら,長嶋茂雄さんは本当に自分の職業を「長嶋茂雄」であると考えていたのかもしれません。少なくとも,そういう気構えをずっと貫いてきたのではないか,私にはそんな風に思われるのです。あの頃,プロ野球人気は今とは比べものにならないほど高く,巨人戦は連日テレビ中継され,視聴率は20%越えというのもざらでした。その中にあって,常に中心打者として活躍し続け,大舞台ではさらにその輝きを増す。並大抵のプレッシャーではなかったはずです。長嶋茂雄は長嶋茂雄であり続けなければならない。職業欄に自分の氏名を書いたのも,常にそんな気構えがあったからなのかもしれません。

終わりに

本日の講義を通じて,これからの社会を担う皆さんに,法と裁判に興味を持っていただき,それを担う法律家という仕事に関心を持っていただければ幸いです。

生徒からの質問と回答

裁判官になる人は,初めは弁護士だった人たちなのですか。
アメリカなどでは,弁護士としての経験を積んだ人が裁判官になりますね。私も,最高裁判事になるまで約40年にわたり弁護士をしていました。ただ,日本では,弁護士としての経験を積んでから裁判官になる人の割合は非常に少ないです。簡易裁判所を含む下級裁判所の裁判官は約3800人ですが,弁護士から裁判官に採用されるのは,毎年数名程度です。日本では,法律家になるためには,司法試験という試験に合格し,約1年間の司法修習という研修を受ける必要があります。その中で,裁判官,検察官,弁護士のどれになるのかを決め,それぞれの立場でスタートラインに立ちます。その意味で,日本では「裁判官になる人は初めから裁判官として仕事をしている」という言い方ができるでしょう。一方,裁判官も弁護士も同じ試験に合格し,司法修習で同じ訓練を受けていますので,法律家として共通のバックグラウンドを持っており,法廷では対等の立場で事件の解決に当たります。
弁護士が正義のためというより被告人のために戦わなければならないのは何故ですか。
弁護士は,法の担い手として,強力な権限を与えられているのですから,その権限は社会正義の実現のために使わなくてはなりません。一方で,弁護士は依頼者や刑事被告人の権利利益を擁護するために戦わなければならないという使命を負っています。しかし,これは矛盾するものではないのですね。弁護士が依頼者や被告人のために戦うということは,裁判制度の面からいえば,お互いが依頼者のために最善を尽くし,ガチンコでぶつかりあうことが,真実に近づくための良い方法だと考えられています。裁判で自分の主張が正しいと分かってもらうためには,一生懸命証拠を集める必要があります。証拠がたくさん集まるほど,真実や真相に近づきます。また,それぞれの立場から激しく議論を戦わせる中で,色々な可能性が検証されます。こういう可能性はないか,いやそれはない,なるほど確かにありそうだ,といった具合にです。その結果,本当に決着をつけなければならない争点が浮き彫りになってきます。理屈や道理に合わないことは淘汰され,真実や正義が残ります。裁判の世界では,これを「当事者主義」などということもありますが,弁護士が依頼者のために最善を尽くすことが,結果として正義の実現になると考えられています。
裁判で一番大切にしていることはなんですか。
最高裁判事として大切にしていることは,自分の出す結論が正義にかなっているかどうかをよくよく考えることです。最高裁はファイナルアンサーですから,最終的な結論を出さなければなりません。最高裁に解決・決着が求められる事案には,金銭的な損得といった現実的な利害関係ももちろんありますが,制度の目的や社会の仕組みに対する影響といった,やや哲学的な要素もあります。その調和点としての正義を探ることはとても難しく,いつも,自分の出す結論が正義にかなっているかどうかを考えています。

オンライン講義を終えて

生徒の皆さんからは,「法律は自分たちとかけ離れたものとして見ていたが,自分たちの生活に密接に関係しているものだということが分かり,法律を身近に感じることができた。」「裁判官というと法廷の真面目なイメージしかなかったが,スポーツを題材にした話題など,新鮮に感じた。身近な存在として,親近感を感じた。」といった声をいただきました。

ウェブ会議システムを利用して,最高裁判事によるオンライン講義を実施するのは,最高裁で初めての取組です。今回は,学校側の協力もあり,約400人の生徒が参加して企画を実現することができました。対面での講義や実際に法廷を見学することが難しい状況だからこそ,オンラインのメリットをいかし,遠方の学校の生徒とも「物理的な距離を超えて,心理的な距離を縮めていく」,そんな広報企画を進めて参ります。