3. 我が国の司法の現状と問題点
現在の司法制度については,種々の批判があり,また,利用者の視点に立った様々な建設的な提言もなされている。
そこで,我が国の司法制度について,司法制度の運用に携わる者の目からみた問題点を明らかにしたい。
「裁判が遅い」ということは,いつの時代にも,あらゆる国の司法制度について言われ続けてきた課題であり,今日でもほとんどすべての国がこの問題を抱えている。裁判は双方の言い分を聞くことが本質であり,また,法的紛争を最終的に解決する場として,証拠に基づいて事実を認定し,法的に判断するという,正確性,厳密性に重点が置かれた手続が定められている。その意味で,裁判による問題の解決にはその性質上一定の時間を要するものであり,行政や経済活動における解決よりも時間が掛かることは,ある程度やむを得ない面がある。
諸外国との比較
諸外国の状況と比較してみると,我が国の訴訟事件の平均審理期間は,平成10年では,地裁民事訴訟事件が9.3か月,地裁刑事訴訟事件が3.1か月となっている。これを欧米諸国に比べると,民事訴訟事件は,ドイツ,フランス等の大陸法国よりはやや長く,アメリカ,イギリスよりは短いということになる。また,刑事訴訟事件についても,国際的に見て遜色のない水準にあるといってよい。
なお,ドイツの地裁第一審民事訴訟事件の審理期間は極めて短いが,控訴率は我が国の約21%に比して約58%と高く,かつ取消率も約48%(日本では約23%)に達しており,実質的な紛争解決までかなり時間が掛かっているということになる。
長期化している事件と迅速化への課題
もっとも,我が国の地裁民事訴訟事件の平均審理期間が9.3か月というのは,実質的な争いのない事件も含んだ平均値であり,争いがあり,証拠調べをして終了した民事訴訟事件(地裁)は平均で約21か月を要している。諸外国においても,この種の事件は同様の水準にあるようであるが,現在の国民の生活感覚からすれば,遅いと感じられるものと思われる。
さらに,公害事件のように訴訟当事者が極めて多数の大型事件,特許権の侵害等の知的財産権事件,あるいは医療過誤事件のような専門的事件の中には,事実関係が複雑で,ときとしては専門的な知見自体に争いがある場合もあって,解決までに,数年,ときには十数年といった長期間を要している事件も見受けられる。また,刑事訴訟事件についても,件数はごくわずかであるが,諸外国では見られないような極めて長期間を要する例もある。こうした国民の関心や社会的影響の強い大型事件,専門的事件は,それだけ迅速な裁判の要請も強いわけであり,全体として我が国の裁判が遅いという印象を受けるのも当然であろう。
裁判が遅れる原因には,様々なものがあるが,最も大きなものは,当事者主義の訴訟手続のもとで,当事者の準備に時間が掛かるという点にある。平成8年,民事訴訟法を70年ぶりに改正したのは,社会生活のテンポに合わせた迅速な民事裁判を実現することが大きな狙いであった。この改正は,当事者の事前準備,期日間準備等を活性化し,進行についての裁判所の後見的機能を強化し,証拠調べを集中して行うことなどを主眼とするものである。この改正に沿った運用が定着していけば,裁判の遅延の問題が相当程度改善できるものと考えており,先に述べた,争いがあり,判決に至るケースであっても,通常の民事事件については1年程度で解決できるのではないかと期待している。
しかし,特に長期間を要している事件については,更に検討することが必要である。当事者主義のもとで,現在のような実体的な真実の解明を求める審理,判決を続けていくとすれば,迅速化にも一定の限界があることは否定し難いが,法制度の面では,証拠収集手続,証拠方法等に関する証拠法を含む手続法の見直しが必要とされるであろうし,法曹人口の拡大,弁護士業務の態勢強化,裁判所の態勢の充実(裁判官,書記官,裁判所調査官の充実)等の人的基盤,物的基盤の整備が必要である。
裁判の費用はどこに問題があるのか
「裁判に費用が掛かりすぎる」,「いくら費用が掛かるか分からない」という不満も多い。
裁判に要する費用としては,申立費用(印紙代),弁護士費用等があるが,その大部分は弁護士費用であり,弁護士費用の合理化,透明化がまず必要とされるところである。また,弁護士費用の敗訴者負担についても検討する必要があろう。訴訟の価額が大きくなれば,印紙代等の費用も軽視できないところであり,裁判全体の迅速化も費用軽減の上で大きな意味を持つ。裁判費用に関する支援という観点から,法律扶助の問題を検討する必要がある。また,前述したような簡裁における本人訴訟の実情からすると,簡裁事件に関する利用しやすい訴訟代理制度についても検討されるべきであろう。
専門的紛争へ対応しているのか
科学技術はもとより,経済,医療,労働,環境など国民生活全般にわたって,活動の形態は著しく多様化し,複雑化している。現在の司法制度が,このように複雑多様化した各種の専門領域の問題に的確に対応しているかという点も大きな問題である。法曹は,様々な事象を権利義務といった法律関係に整理し,法律的な解決を図る専門家であるが,これとともに,各種専門領域における様々な活動の意味を的確に理解する力を備えていることも求められている。しかし,現時点では,これらのニーズに対応し得る能力を持った法曹は,質的にも量的にも不足していると言わざるを得ない。この点は,法曹養成問題を検討する場合の重要課題の一つである。
また,裁判に専門家の知識を反映させる必要があるが,現状では,鑑定人が得難いことも多く,適切な専門家の協力を得ることが困難である。このような状況を改善するための制度の整備も大きな課題である。
紛争解決のメニューは十分か(資料10参照)
裁判は法的紛争の最終的な解決を図る厳格な手続である。紛争の程度,態様等によっては,固い裁判手続ではなく,利用者のニーズに応じたより柔軟な解決手段を整備する必要がある。現在の調停,和解,仲裁等の制度をさらに充実するとともに,紛争類型に応じたADRの拡充について検討することが必要である。
また,法的紛争に巻き込まれた国民がまず手軽に相談できる態勢を整備し,これに関する法律情報を提供するシステムを作っていくことが必要である。
4. 改革の在り方とその方向性
司法機能の現状のとらえ方
上記の諸点は,現在の司法制度の機能の上での問題点として,ほぼ異論のないところであろう。このほかに,例えば,我が国の司法は「小さな司法」であって,立法,行政に対する十分なチェック機能を果たしていないとか,「2割司法」,「機能不全」に陥っており,国民のニーズにこたえていないといった,より一般的な観点からの批判がある。このような総合的評価に直接対応する施策というものは考えにくいが,基本的には,上記の諸問題を解決することによって改革していくべきものと考える。
最近,司法,特に裁判所が「機能不全」に陥り,事件の多くが暴力団等の不健全な形態で処理されているといったセンセーショナルな意見が見られる。しかし,そもそも私的紛争のすべてが裁判になることが健全であるかは極めて疑問であるし,資料11のアンケート結果にもあるとおり,弁護士に相談しなかったものが必ずしも不健全な選択をしているわけではない。
平成10年度の地裁,家裁,簡裁に対する各種の申立件数は,紛争解決を目的としたもの(民事訴訟,調停,督促)に限っても約150万件に上っている。また,裁判所には,極めて多くの受付相談等が持ち込まれている。このほかにも,各地方自治体,消費生活センター,労政事務所,交通事故紛争処理センター,国税不服審判所,特許庁,公害等調整委員会等の各種機関がADRとしての機能を果たしている。
司法制度と社会
司法制度は,対立当事者の争いを手続に従って解決するという共通の制度原理に立脚する一方,優れて社会的,文化的な制度である。もともと,我が国では紛争の解決に当たって法以外の社会規範や人的な信頼関係にベースを置く傾向が強いと言われてきた。狭い国土の中で同質的な人間が密度の高い接触を続けている社会では,あいまいさを残さない法的解決を敬遠する土壌が形成されやすかったということもあろうが,近代的な司法制度が確立され100年余を経過した現在でも,こうした風土は根強く残っているように思われる。例えば先年の隣人訴訟に対する周囲の反応等はその典型的なものであろうし,他方,調停制度が円滑に機能し,発展してきたのもこうした風土の反映といえよう。
今後,我が国でも,法的に問題を解決していくというルールを確立し,その浸透を図っていく必要があることは言うまでもない。そのためには,広く司法制度を国民に利用しやすく,親しみやすいものとし,日々の運用の中でその効用についての理解を深めつつ,長期にわたって改革,改善の努力を継続していくことが何よりも必要である。
改革の方向性をどう考えるべきか
このような改革の在り方を踏まえ,まず,改善,改革を要するのは,国民が司法制度を利用する上で障害となっている前記の諸点を改善し,司法の機能の充実を図ることである。
[制度的基盤について]
制度的基盤に関する問題として,裁判の迅速化,専門的紛争への対応,紛争解決システムの多様化等の点について改善,改革を検討する必要があるが,既にこの点については,各委員から様々な意見が提出されており,裁判所も意見を同じくするものが少なくない。
(1)法曹の機能の強化
弁護士の機能の強化
最も重要なのは当事者活動を行う弁護士の態勢の充実強化である。前述のアンケートにもあるとおり,国民の法的紛争を第一次的に受け止めるのは弁護士であり,その量と質の在り方が司法全体の機能を大きく決定づけることになる。本人訴訟率の低減化,弁護士の地域的偏在の解消,職域の拡大,弁護士事務所の専門化・総合化等は大きな課題である。(石井,井上,北村,高木,竹下,鳥居,中坊,藤田,水原,山本,吉岡各委員の意見)
また,専門性の高い事件や大型事件は,訴訟準備の負担が極めて重いことから,集中審理を行うためには,組織的な訴訟活動態勢を組むことが不可欠である。さらに,弁護士費用の合理化と明確化,これらに関する情報の公開等も利用者の立場からは極めて重要な問題である。(石井,井上,北村,高木,竹下,中坊,藤田,山本,吉岡各委員の意見)
刑事事件については弁護態勢の貧弱さが迅速な裁判実現の上で大きな障害となっている。大型刑事事件に象徴されるように,刑事弁護の態勢の強化,弁護人の確保に関する制度的手当は,差し迫った課題となっている。(井上,北村,竹下,藤田,水原各委員の意見)