平成31年3月20日
【記者】
最高裁判事への就任について,感想と抱負を聞かせてください。
【判事】
行政法の研究者として生涯を過ごすことしか念頭にございませんでしたので,最高裁判事への就任の打診を受けましたときは大変驚きました。これまで最高裁の判決や決定を研究教育の素材としてたくさん読み,かつ,論評してまいりました。したがいまして,最高裁の判断が社会に及ぼす影響の大きさにつきましては十分承知しております。
今度は私自身が最高裁の判決・決定に関与する立場になりますので,責任の重さに身が引き締まる思いでございます。ひとつひとつの事件に真摯に向き合い,他の裁判官の意見もよく伺い,自分でも真剣に考えて妥当な結論を導くことができるように,微力ながら全力を尽くしたいと存じます。
【記者】
これまで行政法学者として取り組まれた仕事や,政府の委員会などの仕事で,特に思い出に残っている仕事を聞かせてください。
【判事】
行政法研究者として様々な研究の成果を著書・論文として公開してまいりましたが,研究生活をスタートした助手時代に,研究生活に没頭できる環境の中で,ドイツの国家責任法の理論史的分析について書きました論文が一番感慨深いものであります。
また,1947年,昭和22年に制定されました国家賠償法の立法過程の研究を行いました際に,今日ではもちろんそのようなことはございませんが,戦後間もなくの立法でございましたので,法案の審議を行った審議会の議事録がこの法律を所管する府省に保存されておらず,国立公文書館にも移管されておりませんでした。
このように立法過程を研究する際の基本的資料である審議会の議事録が発見できませんでしたので,審議会の委員をされておりました我妻栄先生が個人的に東京大学に寄贈してくださいました審議会の資料や,司法省の事務官として審議会の事務局を務めておられました小澤文雄氏が個人として法務図書館に寄贈された資料等を探し出していきました。国家賠償法の制定は占領期でありましたので,内閣提出法案はGHQの承認を得ないと閣議決定して国会に提出することができないという時代でございましたので,アメリカに関係資料があるかもしれないと思いまして,メリーランド州にございます国立公文書館の分館を訪れまして調査しましたところ,当時の折衝資料がマイクロフィルムで整然と整理保存されておりました。敗戦国のこうした立法過程の資料をしっかりと整理保存しているということに非常に強い感銘を受けました。これまで皆無と言ってよい状況にありました国家賠償法の立法過程を調査研究する作業は非常にやりがいのあるものであり,現在と異なり立法過程の資料の整理保存がしっかりされていない時代の立法過程の調査研究でございましたため,苦労はございましたけれども,むしろ宝探しをしているような楽しさを感じました。
また,私が50代の後半になりまして,自分自身の研究だけでなくて学界に対して何らかの寄与すべき年齢になったと考えていた時期に,ある出版社から行政法についてのアカデミックな研究雑誌の編集を依頼されました。行政法のアカデミックな雑誌は非常に少なく,特に若手の研究者が字数の制約なしに発表できる媒体が非常に限られておりましたので,このような雑誌は非常に意義のあるものだと思ってお引き受けしましたところ,行政法研究者の皆様の御協力を得まして順調に号を重ねて,間もなく30号を公刊できることとなりました。このこともよい思い出となっております。
また国・自治体及びそれらの外郭団体の審議会等にも多数出席してまいりましたが,特に思い出に残っておりますのは,行政法学のみならず,社会全体に大きな影響を与える行政手続法,情報公開法,公文書管理法の制定の審議会等に参加する貴重な機会を得たことでございます。対立する意見が戦わされることも時にございましたけれども,議論を経て合意が形成されて法律案の要綱が作成されていく,そういうプロセスを目の当たりにできたことは非常に得難い経験でございました。
また,消費者庁の事故調査機関の在り方に関する検討会の座長を務めて,報告書をとりまとめ,これを受けまして消費者安全法が改正されて消費者安全調査委員会が設置されたことも非常に感慨が深いものでございます。この検討会には日航ジャンボ機の墜落事故で御子息を亡くされました母親の方や,シンドラー社製のエレベーター事故で御子息を亡くされました母親の方も委員として参加されており,二度とこのような事故が起こらないように独立性と専門性を兼備した事故調査機関を設置してほしいという,そういう御遺族の切なる願いに胸を打たれつつ,報告書の取りまとめにあたったということが今でも強く印象に残っています。
最後に,教育面では,1990年,平成2年に,ハーバード・ロースクールの客員教授として,日米比較行政法の講義,それから日本法文献講読の演習を担当しました。この時にアメリカの学生とそれから日本の学生との気質といいますか,その差異に非常に驚きました。もう少し具体的に申し上げますと,この時の授業は一コマが90分だったのですが,私も最初は90分の授業の準備をしておりました。ところが,すぐにその必要はないということが分かりました。なぜかと言いますと,学生たちがどんどん手を挙げて質問をし,それからまた自分の意見を述べ,また学生たちの間でディスカッションが始まるんですね,それで30分くらいすぐに過ぎてしまいますので,私は60分話す素材を用意しておけば,後は学生たちがどんどん質問したり意見を述べたりディスカッションしたりして,30分ぐらい十分時間が経つということが分かりました。日本の学生は授業の時間中に手を挙げて質問したりとか自分の意見を述べたりすることがほとんどありませんので,そこは日米の文化の差異が非常に大きいと強く感じました。
【記者】
最近の司法の動向で特に印象に残っていることや,現在または将来の司法の課題として感じていることについて,お考えを聞かせてください。
【判事】
外国の話にはなりますけれども,EUの司法裁判所が出しました2014年5月13日の判決が非常に印象に残っています。これはかなり以前に社会保険料を滞納したことによって不動産を差し押さえられてそれが競売手続に付されて公示されました記事が現在でもグーグルによって検索されてしまうということから,原告が,滞納した社会保険料はすでに完済しており現在の自分とは無関係であるとしてその削除を求めた訴訟の判決でございます。EU司法裁判所はこの事件におきまして,グーグルが削除義務を負うという判示をいたしました。この判決はEU域内はもちろんでございますけれども,それにとどまらず,世界中で「忘れられる権利」を認めた判決として注目され,どの国であれ個人情報保護の専門家であれば知らない者はいないといっていいほど非常に大きな影響を与えた判決でございます。外国の判決でありますけれども,ひとつの判決がこのように世界中で注目されて大きな影響を与えたということで特に印象に残っております。
それから御質問の司法の課題でございますが,弁護士の数が増加しても訴訟の数はそれほど増加しないと思いますが,弁護士の仕事は決して訴訟の代理人であることには限らないわけでございます。私の専門とする行政法との関係で申し上げますと,近年国や地方公共団体において任期付き職員として法務に携わる弁護士の数は着実に増加しつつあると認識しております。
しかし,もっと多くの弁護士の方が国や地方公共団体の法務の仕事に顧問という立場ではなく常勤職員として携わっていただくことが,法の支配の実現に寄与することになると考えております。今後,より多くの政府の機関や地方公共団体に,法務担当の職員に法曹資格のある方を常勤職員として採用する努力をしていただければと考えております。
【記者】
先ほど最近の司法の動向で特に印象に残っていることとしてEU司法裁判所の忘れられる権利の判決・訴訟に言及しておられましたが,日本でも同様の訴訟が起きているという状況で,それに対して先生の今までの研究者としての知見をどのように生かしていこうとお考えでしょうか。
【判事】
おっしゃるとおり我が国におきましても忘れられる権利に関する訴訟がたくさん提起されております。私の立場からそれについてどう判断すべきか,ということは差し控えますけれども,しかし,私はこれまで情報法の分野を特に専門として研究してまいりました。この情報法の分野ではこの問題は非常に重要な意味を持っております。
ひとつは表現の自由の問題でございます。すなわち私たちがネット上に自分の意見を述べたときにそれが多くの人に伝わるのはやはり検索サービスがあるからでございますし,それからまた私たちが何か情報を求めるときもネット検索がなければ必要な情報にたどり着けないという意味では,知る権利というこれも情報法の重要な問題と当然関わってまいります。また,昔であれば「人の噂も七十五日」と言われたものが,今日のネット社会では一旦ネットに載ってしまい,それが検索サービスでいつまでも検索されるということで,いわば「忘れることを忘れた社会」になっているということがいえると思います。
このようにこの問題は,情報法の核心的な表現の自由とかあるいは知る権利とかあるいはプライバシー,そうした問題と関わってくる問題でございますので,私がこれまで研究してまいりましたこうした情報法の分野の知見を活用して判断をしていきたいと考えています。
【記者】
研究者としてどういった姿勢で研究に臨んでこられたかと,それを今後の仕事にどう生かされるかということを伺えますでしょうか。
【判事】
研究者の場合は,真理を探究していくのが使命でございます。従いまして,研究生活におきましては,何が正しい結論なのだろうかという姿勢で研究を続けてまいりました。それが裁判官の生活の中でどのように関わってくるかということでございますが,当然,研究者の立場と裁判官の立場とは異なり,裁判というのは個々の具体的な事件の適切な解決を導くというのが第一の使命と考えております。しかし,両者はやはり関係しているところも当然ございまして,これまで研究生活の中で培ってきた知見は,裁判の場でも生かしていくことができるだろうと考えております。