令和4年7月5日
【記者】
最高裁判事に就任すると聞いたときの感想と、今後の抱負をお願いできますでしょうか。
【判事】
私は、長い間、最高裁の調査官室に勤務しておりまして、最高裁の裁判官の執務を間近で見てまいりました。憲法と法律によって最高裁に与えられた権限と責任は非常に重く、その一員として仕事をさせていただけることは大変光栄です。とてもやりがいのある役割を与えられましたので、自分のこれまでの法律家としての人生の集大成として、その役割を十分果たせるよう精一杯力を尽くしたいと思います。
今後の抱負でございますけれども、法的紛争というものは、いつの時代にも世界のどこにでも存在いたしますけれども、裁判所のような紛争解決機関がその機能を維持していくためには、これを利用する当事者あるいは潜在的な当事者である社会・国民からの信頼が最も重要で、その信頼を失ったとたんに機能不全に陥ってしまうものであります。私は、裁判を行うに当たっては社会・国民からの信頼を得られる仕事をすること、これを第一に考えてきましたし、今後もそうしたいと思います。
【記者】
これまでの裁判官人生を振り返って、特に印象に残る裁判やお仕事についてお聞かせいただけますでしょうか。また、裁判官として事件に向き合うに当たって、大切にしてきたことは何でしょうか。これまでの経験をどのように最高裁判事の職務に生かせるとお考えでしょうか。
【判事】
特に印象に残る裁判については、これは多くの方が同じかと思いますけれども、初めて仕事に就いたときに経験したことが、結構その後忘れられないこととしてずっと心に残ることがあると思います。私は、昭和60年、1985年の4月に判事補に任官して、東京地裁刑事部に配属されましたが、その後すぐに私のいた部に、その当時世間を大いに騒がせていた殺人未遂事件が係属したのです。これは、夫がその愛人と共謀して妻を保険金目的で殺害しようとして、外国のホテルに滞在中、その愛人がハンマーのような凶器で妻を殴って殺そうとしたという完全否認の事件でありました。マスメディアは大騒ぎで、毎回公判に傍聴希望者が3000人以上集まるというものでした。私は左陪席の裁判官として判決に至るまでこの事件に関わって、証拠の見方、事実認定の仕方だけでなくて、こういう事件の審理の仕方、手続の進め方、弁護人や検察官との対応、傍聴、広報、警備等についての事務局との連携など、刑事裁判の基本とそれから裁判は裁判官だけでするものではないことなどを実地に学ぶことができました。それは新人裁判官にとっては忘れることのできない強烈な体験でございました。
それから、事件に向き合うに当たって最も大切にしてきたことは何かということですが、私たち裁判官が目指している「良い裁判」の普遍的な本質は、最高裁でも下級審でも同じだと思っています。それは何かというと、「中立的な立場から、独立して職権を行使する裁判官が、透明性の高い手続を通じて、適時、これは多くは迅速にですけれども、紛争を解決する」という、裁判というものに対してどこでも人々が共通に目指してきた価値であります。私がこれまでの裁判実務で心掛けてきたことはこの四つの要素です。中立(impartial)、独立(independent)、透明(transparent)、適時(timely)という二つのIと二つのT、ITの2乗ですね。今後、最高裁で裁判を行っていくわけですけれども、これまでと同様に、裁判の本質的な要素をゆるがせにしないという姿勢をとり続けていきたいと思います。
それから、これまでの経験をどのように最高裁判事の職務に生かせるかという御質問でありますが、私はこれまで下級審の裁判官として裁判実務を行うほかに、アメリカのロースクールで勉強し、ワシントンD.C.の連邦裁判所と法律事務所(ローファーム)で実務を学び、通産省、今の経産省ですが、そこでは世界貿易機関(WTO)を作るというウルグアイ・ラウンド交渉に携わり、内閣法制局では会社法などの民事法や労働審判法などの司法制度改革関連法の審査をして、さらに最高裁調査官として12年間以上、上告審のための調査事務に関わるなど、法律家として様々な経験をしてまいりました。これらの経験は物事を多角的に見る、それから多様な価値観や思想を相対的に見るという私の基本的な姿勢を形成するのに役立っているような気がします。こういう視点をこれからの裁判に生かせていけたらと思っています。
【記者】
2025年度に向けて民事訴訟が全面的にIT化されるなど、IT技術の進展に伴い、裁判手続が近年大きく姿を変えようとしています。これまで長年裁判実務に携わってこられた経験から、この変化というのをどのように受け止めていますでしょうか。また、課題として考えられることがあれば教えてください。
【判事】
このIT化と情報技術の進展についてですが、新型コロナウイルスのパンデミック以来、世界中の裁判所でどの審級でもこれまでに経験したことのないような措置をとらなければならなくなりました。感染症対策ではいわゆる三密を避けることが重要とされましたが、裁判というものは本質的に、密閉された法廷という空間で、不特定多数の人が集まって、口頭で主張を述べ合い、証人等を調べるという正に三密そのもので、日本中で関係者が大変な状況に陥ってしまった演劇などと同じ条件で成り立っているものであることに改めて気付かされました。また、コロナ禍の前から民事訴訟のIT化を推進する動きがあって、先頃はそのための法律も成立しました。これに加えて、家事・非訟、刑事手続のデジタル化の議論も始まった、こういう中でIT技術の活用がコロナ禍で苦境に陥った裁判を救うという面があることも実感いたしました。また、裁判所という物的な施設、生身の人、紙の記録という物理的な制約を軽々と乗り越えてしまうデジタル技術が今後の裁判の在り方に大きな変革をもたらすことも明らかだと思います。一方で、その過程でコロナ禍でもデジタル化でも揺るがない、又は揺るがせてはいけない裁判の本質的な要素もはっきり見えてきたように思います。それは何かというと、先ほどITの2乗なんていうことも述べましたけれども、中立、独立、透明、適時という価値であります。これに情報技術、ITの利便さを加えることによって、裁判所もますます当事者、社会・国民から信頼され、法の支配を貫徹する社会の基盤となるのではないかと思っています。
【記者】
尾島さんが首席調査官や上席調査官の頃から弁論の活性化というのが盛んに行われてきたと思うのですけれども、弁論を活性化する意義というのをどのように捉えていて、御自身が裁判長や裁判官となったときにどのように携わっていきたいのかというのをお願いできますでしょうか。
【判事】
最高裁の弁論の活性化というのは最近いろいろなところで言われていて、私が以前首席調査官をしていた時からそれは目にしていました。少し前までの最高裁の実務では、上告棄却判決がされるときには口頭弁論がほとんど開かれずに、また、どのような事件の弁論がいつ行われるかの広報も少なくて、法廷では上告代理人と被上告代理人がそれぞれ上告状、理由書、答弁書を記載のとおり陳述しますと一言述べるだけのものが多かったのは否定できないと思います。そして、民事判決の言渡し期日では主文を朗読するだけでした。現在は、試しに行かれてみると分かりますが、随分変わってきております。弁論期日の予定は裁判所のウェブサイトにアップされ、弁論が行われる事件の概要と争点を書いたメモとともに、裁判長の氏名や1、2審判決の情報も分かるようになっています。この事案概要メモは、元々は傍聴人に配布するという試みから始まったものですけれども、ウェブサイトにもアップして、傍聴希望者、研究者、メディア等が事前に予習できるようになりました。弁論では裁判所から事前に求釈明書が当事者双方に送られる事件が増えており、当日も、ただ理由書、答弁書を陳述しますという形式弁論ではなくて、実質的な主張を口頭で述べ、事件によっては裁判官との間で補充的な対話もされるようになってきました。そして、弁論が実施された事件でも上告棄却の判決がされるようになってきておりますし、言渡しの際には民事判決でも主文だけではなくて、理由の要領も告げております。そして、判決は速やかに裁判所のウェブサイトにアップしています。
こういうように、弁論を活性化して審理の透明性を高めるということは、当事者にとっては、分かりやすい言葉で裁判所を説得する良い機会になります。裁判所にとっては、対話を通じて、当事者の真に訴えたいことを理解しやすくなります。それから、社会・国民にとっては、裁判所と当事者代理人が真摯に事件に向き合っているということを直接見ることで、裁判の信頼性を高めることに役立つのではないかと思います。こういう透明性の点では随分と変わりつつあることは確かです。もちろん、こういうことは最高裁だけで行うのではなくて、1、2審から積み上げて最高裁で仕上げをするというのが理想だと思います。したがって、下級審での取組にも期待しています。
【記者】
好きな言葉、大切にされている座右の銘みたいなものがあれば伺いたいのと、休日の過ごし方、御趣味などがあればお聞かせください。
【判事】
まず、好きな言葉ですが、この言葉が大好きです。「きっちり足に合った靴さえあれば、じぶんはどこまでも歩いていけるはずだ。」。これは須賀敦子さんの「ユルスナールの靴」という作品の冒頭の有名な一文です。自分が何かを成し遂げるには何が必要だろうかということを常に考え続ける、そういう態度に感銘を受けます。もっとも、この一文に続く段落が、完璧な靴に出会わなかった不幸をかこち、自分が何かを成し遂げず、また成し遂げるのを諦めたのは、全て自分の足にぴったりな靴を持たなかったせいなのだという思いを吐露するという控え目な表現が続いているのですけれどもね。
それから、休日の過ごし方ですが、コロナ禍が始まった前後で随分違うところもあるのですけれども、趣味ということでいえばフルートを演奏することです。これはコロナ禍で相当練習不足状態になってしまいました。あとは、演劇を観ることと美術品を観ることです。東京には下北沢を始め劇場がたくさんありますし、最高裁の隣には国立劇場があります。それから、美術品に関しては、関東でも前任の関西でも素晴らしい美術館をたくさん回りましたし、外国に行ったらその街にある美術館は大抵訪ねるようにしています。ただ、いずれもこれらの私の趣味は、コロナ禍で大打撃を被ってしまったということです。