令和4年6月24日
【記者】
最高裁判事に就任されるに当たって、御所感と抱負についてお聞かせください。
【判事】
まず所感の方ですが、月並みですけれども、やはり身の引き締まる思いという言葉がしっくりきます。私はかつて秘書課長、広報課長をやっていたことがあって、このような最高裁判事や長官の就任記者会見というのは、横で陪席をしている経験がいくつかありました。その折に、ある裁判官が「身の引き締まる思い」という言葉を発せられたのをなぜか妙に覚えておりまして、その当時は、そういうものかという程度の受止めだったのですけれども、今実際に自分がその立場に立ってみると、なるほどこういうことなのかということを改めて痛感しているという状況であります。
抱負ということになると、今所感で申し述べたとおり、そもそも自分でこういう役が務まるのかという思いがあり、正直なところ、かなり不安があります。まずは事件にきちんと向き合って、他の裁判官の足を引っ張らないよう一生懸命やっていくということに尽きることになりますが、あえて申し上げれば、司法、裁判の役割というものをきちんと押さえた上で、当事者の思いや主張にできるだけ耳を傾けて、謙虚に裁判に向き合っていきたいと思います。法壇というのは少し高いところにありますのでよく誤解されるのですけれども、決して上から目線で判断しろということではなくて、訴訟全体、法廷全体をきちんと見渡して、広い視野から、少し離れた視野から冷静な判断をしろという教え、そういう思考の表れなのだと私は理解しています。ですから、そういうことを心に留めた上で、謙虚に仕事に、事件に向き合っていきたいというのが現時点の抱負になります。
【記者】
今崎判事は刑事裁判に長く携わられてきましたけれども、これまでに印象に残っている裁判などについてお聞かせください。また、裁判官として大切にされている考え方や言葉などについてお聞かせください。
【判事】
事件の関係のお尋ねですけれども、私は刑事事件ばかりやってきました。その中で、比較的社会の耳目を集めるような事件をやったこともありますし、裁判員裁判も、数は少ないのですけれども、担当いたしました。それぞれ印象に残っています。ただ、あえて紹介しろと言われれば、そういう事件よりはどちらかというと特に傍聴人のいない、関係者だけが来て、ひっそりとやる事件、そんな事件の方がむしろ印象に残っています。一例を挙げますと、昔単独で裁判をやっていた頃、当時の業務上過失致死事件、今でいう過失運転致死ですけれども、高齢の被告人が、自動車を運転していて誤って高齢の女性をひいて死なせてしまったという事件です。事件自体には全く争いがなく、被告人に前科前歴がない、そういう事件でありました。裁判が始まる前に、弁護人から情状証人として被告人のお嬢さんを立てますという連絡が入ったのですね。情状証人というのは大体身柄を監督する、身柄を引き受けるということなので、年上の人が多いですし、親御さんであったり、あるいは勤め先の上司であったり、親方であったり、という人を立てるのがほとんどです。失礼ながら、お嬢さんという話を聞いて、かなり意外に思って、大丈夫かなと率直に思って法廷に入ったのです。そうしたところ、お嬢さんの証言を聞いていますと、かなりのことがありまして、お嬢さんとはいうのですけれども、実際はお兄さんの娘さんで姪御さんだったようで、そのお兄さんというのが、家庭を顧みない人で、お嬢さんはかなり放っておかれたようですね。それを見かねた弟である被告人が姪御さんを引き取って、それこそ手塩にかけて育てあげたわけです。その間は随分いろいろなことがあったようで、酔っぱらったお兄さんが家の玄関をたたいて娘を出せと怒鳴ったというエピソードも紹介されていた記憶があります。そのお嬢さんが本当によくできた人で、事件の後にすぐに御遺族の家に日参をして、謝罪をして、できる限りのことをするということを繰り返したようで、被害感情も極めて良好なのですね。被告人自身の話を聞いても善良な人柄がよく出ていたわけです。そういう経過があって、最終的には執行猶予で終わりました。このような事件を担当すると、やっぱり人間っていいなと素直に思って印象に残っています。
もう一つ強いて挙げれば、裁判員裁判を担当していた中で、事件の最終盤のときにぐらっと来たのですね。東日本大震災が起こったわけです。あれは金曜日でしたよね、金曜日に弁論まで終えて結審して、月曜日に判決をする、こういう予定を組んで始めた事件でした。御存じのような経過で、最初はなんとか裁判を進められないかと思ったのですけれども、とてもそれは無理だということになって、裁判員の皆さんには、ああいう状況ですからお見送りしかできないのですが、それぞれ徒歩でお帰りいただきました。お帰りの前に、被告人が身柄拘束中の事件だったということもありまして、なんとか審理を終えたいと思っていたので、無理だとは思いましたけれども、月曜日には引き続きの審理を是非やりたいので、なんとかお出でいただけないだろうかというふうにお願いをしたら、皆さん快諾をされてお帰りになりました。それで月曜日にどうなったかですけれども、私は午前9時過ぎくらいには出ていたと思いますが、審理は10時からの予定だったのですけれども9時半には、6人の裁判員と1人の補充裁判員、合計7人のうちの6人が、そろっておられました。お一人だけ間に合わなかったのですけれども、電話が掛かってきて、「今、新宿で、丸ノ内線の前のすごい列に並んでいるのですが、必ず行きますから、待っていてください。」と言われたのですね。結果的には少し遅れて10時15分くらいに、全員そろって、無事に審理を進めることができました。検察官、弁護人にも事情を話して、彼らも審理に協力するという約束があって、無事に評議して判決するというところまで終えることができて、本当に感慨深い思いをしました。裁判員のことを裁判所の関係者が申し上げるときには、よく国民の理解と協力をいただいていると申し上げていますけれども、これは決して単なる枕詞ではなく、本当に実感として、そういうことを感じました。
【記者】
裁判員制度が始まって13年がたちました。刑事裁判に長く携わられた視点から、裁判員裁判には現在どのような課題があるとお考えでしょうか。また、来年からは若い世代が参加することになりましたが、その影響や効果などについてお考えをお聞かせください。
【判事】
裁判員裁判13年、おおむね順調に進んでいるということは私もそうだと思っています。これはやはり国民の皆様の理解が大きいというのは先ほど申し上げたとおりです。順調ということはおそらく間違いないと思っているのですけれども、今おっしゃったように課題がないわけではないとも思っています。例えば、裁判に入る前の準備手続、公判前整理手続の期間が以前に比べると延びてきています。コロナ禍による影響というものも考えなくてはいけないので、一概には言えないかもしれませんけれども、しかしやはり依然として長いということになります。そうすると裁判がどうしても遅れますので、被告人にも、関係する証人にも迷惑をかけるということになります。これをなんとかできないかというのが大きな課題だと思っています。この他にも裁判所の中では、裁判員との実質的な協働を目指すという議論が活発に行われています。活発に行われているということはまだ足りないと、もっとやることがあるはずだという刑事裁判官の間の意識があるのだろうというふうに思います。私は事件そのものを直接見ているわけではありませんので、どこまで当たっているのかは必ずしも分かりませんけれども、やはりまだまだそういう意味での課題はあると思います。それはおそらく裁判官、そしてそれだけではなく、検察官・弁護人もこの種の事件に向き合う技術、スキルというものがいまだ完全には安定した形で完成していないからなのではないかなというふうに思っているところです。
それから今回18、19歳の人たちが裁判員の候補者として、あるいは裁判員として加わるという制度になりました。いろいろと不安が多いということはよく分かります。ですので、裁判所としては、あるいは法務省や検察庁、弁護士会からも、制度の趣旨をよく理解していただくように説明していくしかないだろうと思います。ただ、よく「裁く」という言葉を使われるのですけれども、実際に裁判に携わった人だったらお分かりだと思いますけれども、別に神様のような立場で判断を下すことが求められているわけではないのですよね。証拠というものを虚心坦懐に見て、そこからどれだけの事実が認定できるか、最終的に有罪になるかどうかということを判断する、仮に有罪だという判断になれば今度はどういう要素をもって量刑の考慮に入れたらいいのかということを考えて、先例を見て、どこに当たるのかを、いわば物差しの中でどの辺りにこの事件がくるのかということを判断するのであって、そういう作業だということを考えれば、18歳、19歳の方々なら、そういう立場での判断が当然できると思います。そういう意味で私は何も心配していませんし、またそういうことも今後若い人たちも含めて説明していかないといけないのかな、とそういうふうに思っているところです。
【記者】
裁判員との実質的な協働というお話がありましたけれども、裁判員裁判の御経験の中で、多様な法律家ではない一般の市民の方たちとの評議の経験があるわけですけれども、そういった経験を最高裁判事としてどのように生かせるとお考えでしょうか。もし何かあればお聞かせください。
【判事】
難しい質問ですね。先ほど申し上げたように、少ないですけれども裁判員の事件を担当した経験から言うと、職業裁判官が持ってきた感覚とそういう経験を持たない国民の方々との感覚の違いというのは随分感じます。そのときに思ったのは、どうやったら職業裁判官の感覚というものを説明できるだろうかということでした。つまり、別に押し付けるというつもりはなくて、ただ裁判官がなぜこう考えるのか、こういうときにはどうしてこういう思考様式をとるのかということを理解してもらって、それで納得、同意してもらえるのかどうかということをきちんと議論するというのが裁判員裁判の評議なのだと、それが醍醐味ですし、やらなければいけないことなのだろうと思います。その作業をしようと思うと案外難しいのですね。そういう、裁判官が当然のことだと思っていたセンス、感覚ですか、理屈とかいうのをなぜこうしていたのだろうということを説明するのは結構難しいわけです。そうするとそこから遡って考えるということになります。それをどうやって必ずしも法律的な素養のない人に納得、理解してもらえるかということを一生懸命考えるということになります。そういう作業をすることによって、その後、裁判官が仕事をする上で、この人にどういう説明をしたら分かってもらえるだろうか、あるいはこの物事の本質というのはどこにあるのだろうかということを自然に考えるようになりました。なりましたというか、なるように努力しています。ひょっとしたら、これまでのそういう経験が、今、これから向かう仕事に生かせないかなというふうに思っています。思っていますが、勝手に思っているだけでこれは相手のあることですから、そうなるというふうには確言ができないのですけれども、あえて言えばそういうことかなと思います。
【記者】
制度面でいえば、録音録画ですとか司法取引ですとか、新しい捜査制度が何年か前に発足し、また今後再審の制度とかも含めて検討会も開かれることになっています。そういった裁判員だけでなく制度改革に臨むにあたっての基本的な姿勢というのをどういうふうに思っているのか、あるいはそのテーマについての改善点、御指摘すべき点があったら教えてください。
【判事】
私はこれから裁判官として裁判に携わることになるので、制度の在り方自体についてコメントするのは必ずしも立場上ふさわしくないのかなと思っています。出来上がった制度、法律をきちんとその趣旨に従って、運用していくというのが私たち裁判所の仕事であることから、その点についてのコメントを言いにくいのは御勘弁いただきたいと思います。ただ、これから法制審議会などを通じて、様々な新しい制度についての検討がおそらく進められるのだろうと思います。そのときに、裁判所としてこういう制度であれば実務がきちんと動きますよと、あるいはこういうことをよく考えていただかないと裁判の現場が困るかもしれません、というような情報はできるだけお伝えするというのは、組織裁判所としての責任だろうというふうには思っています。私は裁判官としては直接携わることは多分ないので、この程度にさせていただきますけど、よりよい制度ができることを心から願っています。