第1 はじめに
建築関係訴訟委員会は,平成13年6月14日に制定公布された建築関係訴訟委員会規則(平成13年最高裁判所規則第6号。以下「規則」という。)に基づいて設置されたものであり,建築紛争事件の処理に当たり,必要となる鑑定人及び民事調停委員の候補者を選定するとともに,建築紛争事件の運営に関する共通的な事項を調査審議し,それについて最高裁判所に意見を述べることを目的としている(規則2条)。
建築関係訴訟委員会(以下「当委員会」という。)は,平成14年2月27日,規則2条1号に基づいて,最高裁判所から「建築紛争事件を,専門家の協力を得て,適正かつ合理的期間内に解決するための訴訟手続及び調停手続の運営の在り方」について意見を求める旨の諮問を受けて審議を進め,平成15年6月には,その時点までの審議結果を「建築関係訴訟委員会中間取りまとめ」(以下「中間取りまとめ」という。)として公表した。
その後も当委員会は,前記諮問事項について更に審議検討を進めた。この答申は,当委員会におけるこれまでの活動の成果と,前記諮問に対する審議検討の到達点を示すものである。
第2 建築関係訴訟委員会の設置を始めとする建築界と法曹界の連携に向けた取組
1. 建築関係訴訟委員会設置の背景
(1)建築紛争事件の処理状況
ここで,建築紛争事件とは,民事訴訟事件又は民事調停事件のうち争点若しくは証拠の整理又は裁判をするについて建築の専門的知識経験を必要とするものをいうのであるが(規則2条1号参照),これらの事件は通常の民事事件に比べて審理期間が長期化する傾向にある。例えば,平成16年における全国の地方裁判所における民事通常訴訟事件と建築関係訴訟のそれぞれの既済事件の平均審理期間をみても,民事通常訴訟事件については8.3月であるのに対し,建築関係訴訟については,17.0月であり,そのうち,建築物の不具合(瑕疵)の主張がされたものは24.7月であり,その主張がされなかったものについても10.5月となっている。
(2)建築紛争事件の特質及び紛争解決のために専門家の協力を得ることの必要性
建築紛争事件は,医事紛争事件と並んで,その解決のために専門的知見が必要とされる,いわゆる専門事件の典型的な一類型である。その中でも,瑕疵の有無が問題となる事案においては,建築に関する専門技術的な事項が主たる争点となることから,これまでの裁判実務では,この種の知識に乏しい裁判官や代理人弁護士等が,手探りで建築の専門的知識を習得しつつ審理を進めていかざるを得なかったのであるが,これらの専門的知識を短期間に,かつ,十分に習得することには大きな困難が伴うため,裁判官等が専門的な知見の提供を受けないで,真の争点を的確に把握し,必要にして十分な証拠調べを行って事件を合理的期間内に適切に処理することには,相当の困難が伴うと指摘されていた。そのため,建築紛争事件の審理は,通常の民事事件の審理と比べ,長期化することが少なくなかった。
このように,専門的知見が必要とされる建築紛争事件を合理的期間内に適切に解決するためには,裁判官や代理人弁護士等が,中立で識見の高い建築の専門家から,専門的知見の提供を審理に必要な局面で速やかに受けることが必要であると考えられるが,これまで,全国的に見れば,上記の専門家からの協力を得るための方策については,主として,個々の裁判体の努力にゆだねられており,そのための系統だった態勢の整備や支援が十分にされていたとはいえず,その結果,裁判官等が適切な専門家からの協力を適時に得ることが困難な場合も少なくなく,建築界と法曹界との継続的な協議,連携等の必要性が指摘されていた。
一方,専門的知見の提供を期待される建築界においても,建築基準法改正等の法的環境の変化や,建築をめぐる紛争の種類や内容の複雑多様化,さらには,建築瑕疵に起因する欠陥住宅問題等に対する社会的な関心の高まりなどを受け,建築紛争事件において,速やかに専門的知見を提供し,紛争を早期解決に導くとともに,専門的知見を提供する過程において,訴訟で問題となる建築紛争の原因や当事者の主張等といった建築紛争事件の実情に対する理解を深め,そこで得られた情報を建築関係者に還元することで紛争を未然に防止しようという機運が高まっていた。
このように,建築紛争を合理的期間内に適正に解決するためには,建築界と法曹界との相互理解と継続的な協力関係の構築が不可欠であり,また,こうした関係を築き,建築紛争の実情についての認識が共有されることで,ひいては建築紛争の予防にもつながるものと考えられる。
2. 建築関係訴訟委員会の設置とその活動
(1)当委員会の設置
以上のような認識の下,平成11年夏から,最高裁判所事務総局民事局(以下「最高裁民事局」という。)と社団法人日本建築学会(以下「日本建築学会」という。)とは,建築紛争の予防につながるような情報等について意見交換を行うようになった。日本建築学会は,建築に関する学術・技術・芸術の進歩発達を図ることを目的とした公益法人であり,建築紛争事件について中立的な立場にあるとともに,多様な建築分野にわたる多数の専門家が所属していることから,この意見交換の機会において,事案にふさわしい鑑定人及び調停委員候補者(以下「鑑定人等候補者」という。)の推薦も行われた。
この意見交換を契機として,建築界と法曹界との継続的な協力関係を構築するための組織が必要であるとの認識の下,平成12年6月には,日本建築学会内部に,司法への支援協力のための組織である「司法支援建築会議」が設立され,これに続いて,建築界と法曹界の有識者による率直な意見交換を行うため,平成13年6月,当委員会が設置されることとなった(委員等は別紙1(PDF:59KB)のとおりである。)。なお,当委員会の設置とほぼ同時期にとりまとめられた司法制度改革審議会意見書においても,専門的知識を必要とする事件への対応強化が掲げられたところである。
(2)委員会の活動
当委員会の所掌事務は, 1.)建築紛争事件の運営に関する共通的な事項を調査審議し,最高裁判所に意見を述べること, 2.)事案にふさわしい鑑定人等候補者の選定をすることであるが,後者の事務については,委員会に,鑑定人等候補者選定分科会(以下「分科会」という。)を設置し,分科会において,日本建築学会の支援の下,審議検討することとされた。また,後述のとおり,前者の建築紛争事件の運営に関する共通的な事項に係る調査審議についても,委員会における審議検討に先立ち,分科会において,準備的な議論が進められることとなった。
こうした委員会及び分科会の運営に関する枠組みの下,平成13年6月の当委員会設立後,6回の委員会と10回の分科会(うち4回は委員会と合同開催)の審議検討を経て,平成15年6月に,その時点までの審議結果を「中間取りまとめ」として公表するとともに,その後も,審議検討を進め,当委員会設立以来今日まで,通算して,10回の委員会及び16回の分科会(委員会との同時開催8回を含む。)が開催され,審議が重ねられた。
ア 鑑定人等候補者の選定等
事案にふさわしい鑑定人等候補者の選定作業は,当委員会設置前から,日本建築学会と最高裁民事局との意見交換の一環として行われてきたところであるが,その際の選定方式等が円滑に機能していたことを踏まえ,当委員会における鑑定人等候補者の選定手続については,分科会において,次の「鑑定人及び調停委員候補者選任の仕組み」のとおりとすることが決められ,当委員会において了承された(なお,この仕組みについては,中間取りまとめ以降の分科会での審議において,見直しの要否につき議論されたが,専門分野を意識した鑑定人の推薦依頼等についての議論が深められたことや,現在の鑑定人等候補者の選定手続が円滑に運用されていることなどにかんがみ,当面は,この仕組みに沿って運用することとされた。)。
【鑑定人及び調停委員候補者選任の仕組み】
- 推薦依頼については,基本的には,
1.) 地方・高等・簡易裁判所から,建築関係訴訟委員会事務局(最高裁民事局)への推薦依頼
2.) 建築関係訴訟委員会事務局(最高裁民事局)から,日本建築学会(司法支援建築会議)等への推薦依頼
上記の経路をたどり,推薦は,この逆の経路をたどることとする。 - 問題のある事案(日本建築学会以外の学会等関係団体に推薦依頼をすることがふさわしいと思われるような事案も含む。)については,分科会で審議(緊急を要する場合は,持ち回りによる書面での審議)をすることとする。
これにより,当委員会は,その設置後,30件の事案について(平成17年5月13日現在),鑑定人候補者の推薦依頼をしてきたところである。当委員会事務局の推薦依頼から,日本建築学会(司法支援建築会議)の候補者推薦までに要する期間は,最近の事案ではおおむね1か月程度であり,また,これまでのところ,分科会において審議を要する問題のある事案もなく,当委員会を通じた鑑定人等候補者の選任手続は,円滑かつ迅速に運用されているものと評価することができる。
推薦依頼件数については,平成14年をピークとして,その後は減少傾向にあるが,これは,後述のとおり,当委員会の設置を契機として,各実務庁と各地の建築関係団体との連携が強化され,各実務庁が鑑定人等候補者推薦依頼を独自に行い得る環境が徐々に整いつつあることが,その原因の一つと考えられる。
さらに,分科会では,前記の仕組みに従って鑑定人等が推薦された事案について,鑑定書が提出されたり,事件が終局した場合には,推薦を受けた裁判所は,今後の参考に供する趣旨から,鑑定人となった者の同意を得た上で,次の「鑑定結果等還元の仕組み」に従って,当委員会事務局を介して鑑定結果等の情報を当委員会及び日本建築学会に提供し,還元することが決定され,当委員会において了承された。
【鑑定結果等還元の仕組み】
建築関係訴訟委員会を通じて推薦を行い,鑑定人が関与した事案について鑑定人から鑑定書が提出されたり,事件が終局した場合は,基本的には次の経路をたどり鑑定結果等を還元していくものとする。
- 事件が終局したときは,推薦を受けた裁判所は建築関係訴訟委員会事務局(最高裁民事局)に対し,終局結果を報告するとともに,提出された鑑定書と判決書等の各写しを送付する。
- 建築関係訴訟委員会事務局が前記1の報告又は送付を受けたときは,日本建築学会(司法支援建築会議)等に対し,
1.) 終局結果を通知する(和解で終局した場合は,特段の支障がない限りその概要を含む。)。
2.) 特段の支障がない限り,鑑定書写し(判決によって終局した場合は,判決書写しも)から事務局用控えを作成した上,写しを送付する(ただし,書類が膨大であるなど控えの作成に困難を生ずる場合には,協議の上,鑑定書写し等を貸与するなどの取扱いをするものとする。)。
イ 建築紛争事件の運営に関する主な審議事項
建築紛争事件の運営に関する主な審議事項として, 1.)鑑定人及び民事調停委員の選任後における支援の方策, 2.)建築関係紛争の原因分析, 3.)建築契約における書面(化)及び説明の重要性に関する検討, 4.)建築基準法令の実体規定と契約法上の瑕疵との関係の研究, 5.)建築物の瑕疵による損害額の算定方法の研究の各項目が挙げられ,これらについては,委員会での議論に先立ち,分科会において調査検討がされ,その結果を基に委員会において意見交換が行われた。その結果,後述のとおり, 1.)については,鑑定人等向けの手引き等が作成されるなどしたほか, 2.)及び 3.)についても,それぞれ一定のコンセンサスが得られたことから,平成15年6月,前記のとおり,中間取りまとめを公表するに至った。
その後,分科会において, 4.)及び 5.)の各事項とともに,専門分野を意識した鑑定人の推薦依頼の在り方等についての議論を行い,これを踏まえて委員会において更に検討が行われた結果,後述のとおり,一定のコンセンサスが得られたことから,本答申に至ったものである。
3. 建築界と法曹界の連携強化に向けた取組
(1) これまでの建築界の取組
日本建築学会は,前記のとおり,平成11年以降,最高裁民事局との意見交換をする過程で,係争中の事案にふさわしい鑑定人等候補者を推薦するなどの協力をしてきたが,増加する建築紛争事件の適正かつ迅速な解決及び建築紛争の予防への社会的要請の高まりを背景に,前述のとおり,平成12年6月,中立公平な立場で司法への支援協力を行うため,学会内に司法支援建築会議を設置した。同会議は,日本建築学会会員の中の学識経験豊かな優れた研究者,技術者及び設計者等によって構成され,建築紛争事件の円滑な解決のため,裁判所に鑑定人等候補者を推薦する等の協力を行うとともに,建築紛争を学術的に調査分析し,その成果を建築関係者等に還元したり,広く一般社会に情報発信したりするほか,一般市民や建築専門家を対象とした講演会の開催や,その講演会の様子を録画した建築紛争予防のためのDVD教材,書籍等の作成による教育・普及活動を通じて紛争予防に努めており,公共の利益にも貢献していくことを目的として,幅広く活動を行っている。
(2) これまでの裁判所側の取組
裁判所では,建築紛争事件の審理期間が長期化する要因の一つとして指摘されていた鑑定人の選定手続を円滑化するため,前記2(2)のとおり,当委員会の活動を通じ,日本建築学会の全面的な協力を得て,鑑定人等候補者の推薦のための仕組みを構築したほか,鑑定人等の選任後における鑑定人等に対する支援の方策として,鑑定人等に対し,鑑定人等に選任された場合に心得ておくべき事項や,鑑定手続や調停手続に関する基本的な知識等の情報を提供するために,「専門調停の手引」等のリーフレット及び「鑑定人CD-ROM(鑑定人になられる方のために)」を作成した。
さらに,平成13年4月には,東京地裁及び大阪地裁に建築関係訴訟事件及び同調停事件を集中的に扱う裁判部(以下「集中部」という。)が設けられたほか,平成15年6月には,札幌地裁にも集中部が設置された。集中部では,建築関係訴訟事件を集中的に審理する際に行った審理上の工夫,そこで得られたノウハウ等の情報を,法律雑誌等で公表するなどして積極的に発信しており,こうした情報が全国の各実務庁における建築紛争事件の審理の運営改善の参考とされてきたところである。
(3) これまでの建築界と裁判所を始めとする法曹界との協働の取組
当委員会設置及びそれに先立つ日本建築学会と最高裁民事局との意見交換以後,建築界と裁判所を始めとする法曹界との協働の取組も各地で幅広く行われるようになった。例えば,東京地裁では,建築紛争事件を担当する裁判官と日本建築学会関係者との間で定期的に勉強会が行われており,大阪地裁においても,建築紛争事件を担当する裁判官と建築専門家の民事調停委員との勉強会が行われている。また,日本建築学会が主宰する一般市民や建築専門家を対象とする講演会やシンポジウムに東京地裁及び大阪地裁の裁判官が講師等として参加するなどしている。
さらに,東京及び大阪以外の地域においても,例えば,「建築訴訟連絡協議会」等の名称で,地域の建築専門家と弁護士や裁判所関係者が参加して意見交換を行う場が設けられるなどしており,こうした取組の中で,裁判所が開催するものだけ見ても平成14年には開催庁が1庁であったものが,平成15年には8庁となるなど,徐々にその動きは拡がりつつある。さらに,地域によっては,こうした意見交換を基に,鑑定人候補者推薦の仕組みが設けられるなど,建築専門家と法曹関係者の間で,相互理解に向けた協働作業が行われている。
これらの取組のほか,日本建築学会では,東京及び大阪の両地方裁判所の協力を得て,平成15年11月,司法支援活動を通じて蓄積した事例等を調査分析し,建築紛争の実態を体系的にまとめた書籍(日本建築学会編「建築紛争ハンドブック」)を刊行し,建築界及び法曹界の実務家から好評を博した。
(4) 当委員会設置の意義及び今後の建築界と法曹界との連携強化の必要性
建築紛争事件の円滑な解決のためには,審理に建築の専門的知見を導入することが必要であり,その意味で,建築界の協力を仰ぐことが欠かせない。また,建築界においても,建築紛争の実情,特に訴訟等で争われる建築紛争の原因,審理,判断の過程等についての理解を深めることにより,紛争の予防につながる情報を建築関係者等に還元することが可能となる。このように,建築界と裁判所を始めとする法曹界において,相互理解を進め,連携を強化することが建築紛争の解決のみならず,建築紛争の予防という側面においても重要であるにもかかわらず,従前は,両者の間で,必ずしも十分な交流は行われてこなかった。当委員会の設置及びそれに先立つ日本建築学会と最高裁民事局との間の率直な意見交換を通じ,両者の信頼関係が次第に深まり,建築紛争事件の適正かつ迅速な処理及び建築紛争の予防をするためには,両者の連携を強化することが重要であることが再確認された。このこと自体,誠に意義深いことと考えられる上,当委員会の活動が一つの契機となり,各実務庁において,地域の建築専門家との間で交流が深められつつあることも注目に値する。
欠陥住宅の社会問題化などを背景として,今後建築紛争が増加し,紛争形態も多様化していくことが予測されるところであり,紛争を合理的期間内に適切に処理することへの社会的要請は,今後ますます高まるものと考えられる。こうした社会的要請にこたえるため,今後もより一層,建築界と裁判所を始めとする法曹界との相互理解が深められ,連携が強化されることが必要であり,そうした取組が,ひいては建築紛争の予防につながるものと考えられる。
第3 建築紛争事件の現状と問題点
1. データから見た建築紛争事件の現状
当委員会に報告された全国の地方裁判所の平成16年の事件統計に基づいた建築紛争事件の状況は以下のとおりである。
まず,新受件数をみると,別紙2「データから見た建築紛争事件の現状」(PDF:73KB)の「新受件数」欄記載のとおり,2,843件となっている。
事件の終了区分については,同別紙「事件終了区分」欄記載のとおり,判決が36%,和解が38%及び取下げが22%である。この比率を瑕疵主張の有無ごとにみると,瑕疵主張があるものは,それぞれ判決が32%,和解が36%及び取下げが29%であるのに対し,瑕疵主張の無いものは,判決が40%,和解が39%及び取下げが17%となっている。
請求の内容については,同別紙「請求の内容」欄記載のとおり,建築瑕疵による損害賠償請求が21%,建築請負代金請求が74%である。なお,建築瑕疵による損害賠償の法律構成の内訳について,参考までに,中間取りまとめにおいて紹介されている東京及び大阪の各地方裁判所のデータをみると,東京地裁においては,債務不履行が59%,瑕疵担保責任が29%,不法行為が8%であり,大阪地裁においては,債務不履行が38%,不法行為が38%,瑕疵担保責任が7%であり,東京地裁では債務不履行の割合が高く,大阪地裁においては債務不履行と不法行為が同程度で高い割合を占めている。
瑕疵の原因については,同別紙「瑕疵の原因」欄記載のとおり,設計が15%,監理が8%,施工が73%である。なお,瑕疵主張の根拠について,中間取りまとめにおいて紹介されている東京及び大阪の各地方裁判所のデータをみると,東京地裁においては,契約が74%,建築基準法が11%,住宅金融公庫標準仕様が4%であり,大阪地裁においては,契約が51%,建築基準法が31%,住宅金融公庫標準仕様が15%であり,東京地裁においては契約の占める割合が高いのに対し,大阪地裁においては契約以外の原因を理由とするものの占める割合が比較的高くなっている。
また,平均審理期間については,平成16年における全国の地方裁判所における平均審理期間は,前述のとおり,17.0月である。なお,中間取りまとめにおいて紹介されている平成13年,14年頃の東京及び大阪の各地方裁判所のデータをみると,東京地裁においては,約16.2月であり,大阪地裁においては,約19.9月であったが,平成16年のデータをみると,東京地裁においては,15.7月であり,大阪地裁においては,13.7月となっており,いずれも短期化傾向にあることがうかがえる。
なお,別紙2の事件統計については,平成16年1月から同年12月までに終了した全国の事件を対象とするものであり,いずれも概数である。
2. 建築紛争事件の処理に関する主な問題点
(1) 建築に関する専門的知見を一層円滑に導入するために考慮すべき事項
ア 鑑定をする場合
(ア) 前提となる事項
建築関係訴訟を合理的期間内に適切に処理するためには,当該事案にふさわしい建築専門家から,その専門的知見の提供を適時適切に受けることが重要である。こうした専門的知見の提供を受ける方法の一つが,鑑定制度の活用であるが,事案にふさわしい専門的知見を有する鑑定人候補者の推薦を受け,速やかに専門的知見を提供してもらう前提として,争点整理が適切に行われるとともに,将来的には鑑定人の指摘などを踏まえた変更があり得るとしても,鑑定事項が十分に整理されていることが不可欠である。また,こうして適切に整理された争点や鑑定事項等の情報が,鑑定人候補者を推薦する建築界側に適切に提供されることが重要であると考えられる。すなわち,まず,当該事案において,いかなる点について真に争いがあるのか,その点についての当事者の主張及びこれを裏付ける関連証拠は何かということや,そうした争点の中で,建築専門家の意見を聞くべき事項は何かということが適切に整理されてはじめて,鑑定人は,専門的立場から適切な意見を述べることが可能となる。また,鑑定人候補者の推薦を受ける段階においても,鑑定人が必要とする情報が整理された形で鑑定人候補者を推薦する建築界側に提供されれば,迅速な鑑定人候補者の推薦を通じてそれだけ速やかに専門的知識の提供を受けることが可能になるものと考えられる。
さらに,多数の瑕疵が主張されるなど,争点が多岐にわたる建築関係訴訟においては,争点や鑑定事項の整理を円滑かつ適切に行うため,争点等について,当事者及び裁判所が共通の認識を持つことが必要となる。そのための工夫として,最近の実務においては,当事者の主張を対比し,一覧できるような主張整理表,瑕疵一覧表等が作成され,活用されているところであり,こうして整理された当該事案の争点等の情報が,鑑定人候補者を推薦する建築界側に提供され,鑑定人推薦手続において考慮されることで,建築界側は,多岐にわたる専門分野の中から,適切な鑑定人候補者を推薦することが可能となるものと考えられる。
(イ) 専門分野を意識した鑑定人の推薦依頼
a 裁判で問題となる事項と建築分野における専門分野の分類の関係について
建築の専門分野の分類については,様々な方法があり,例えば,学術分野における分類や建築業務における分類といった方法など多様なものが見られる。しかも,いずれの分類についても,相当に細分化されており,建築専門家以外の者にとっては,必ずしも理解が容易なものではない。
ところで,実際の裁判実務では,建築瑕疵の内容や原因を現象面から分析していくこととなるが,その際に,どのようなポイントで建築の専門分野が分岐するのかということについては,法律家の立場からは,必ずしも明らかではなく,裁判官や訴訟代理人等は,瑕疵等の原因等を解明する際に,どのような専門分野の建築専門家に協力を求めるべきか,また,必要とされる専門的知見に係る建築の専門分野がいくつの分野にわたるのかを知ることも容易ではなく,複数の鑑定人を採用する必要があるのかどうかを見極めることも相当に困難であった。こうした事情により,これまで,鑑定人の推薦依頼を受ける建築界側にも候補者推薦における負担をかけるおそれがあった。
b 裁判で問題となる事項と学術上の専門分野の分類の関係を整理する意義
裁判で問題となる事項と学術上の専門分野の分類の関係が整理され,明らかになれば,裁判所及び当事者は,当該事件の解決に必要となる専門的知見を有する専門家がどのような専門分野の者であるのかについて,一応の予測をつけることができ,当該事件の争点が多岐にわたる場合などには,必要となる建築学上の専門分野がいくつの分野にわたるのかについても予測することができるなど,審理に一定の見通しを立てることが可能となる。
他方,裁判所がこうした分類に従って鑑定人の推薦を依頼するようになれば,これを受ける建築界側も事案の概要をより的確に把握し,一層円滑に適切な鑑定人の推薦をすることが可能となる。
さらに,副次的には,このような整理が明らかになることで,後記の専門家調停や専門委員制度を利用する場合などにおいて,裁判所が,当該事案の解決にふさわしい分野の者を指定することも容易になる。
このような認識の下,日本建築学会と東京地裁とが,協働して,裁判で問題となる事項と建築学術上の専門分野の分類の関係を具体的に明らかにするための補助資料の作成作業に取り組み,一定の成果が得られた(別紙3(PDF:80KB)参照)。この資料は,現在,東京地裁において利用されており,裁判で問題となる事項と建築学術上の専門分野の分類との関係を整理するための有益な資料である。また,東京地裁において,この資料を前提に,実際の事例として多く見られるものを念頭におき,建築の専門分野と紛争類型との組み合わせ例を明らかにした資料(別紙4(PDF:24KB)参照)も別途作成され,当委員会において紹介された。
こうした資料等をベースに,建築界と法曹界が今後更に協働して実務家レベルでの作業を継続し,必要となる項目を追加したり,地域により建築紛争の実情が異なる場合には,当該地域ごとに資料に修正を加えるなどして,地域の実情に応じた,一層使い勝手の良いものとしていくことが期待される。
(ウ) 鑑定人に対する支援等
鑑定人による専門的知見の提供を円滑に受けるためには,以上のような点に配慮するとともに,鑑定人選任後に,鑑定人に対し,必要な支援をするという配慮も忘れてはならない。この点については,前記のとおり,「鑑定人CD-ROM(鑑定人になられる方のために)」等を作成し,これらを鑑定人等に対して提供してきたが,こうした選任後の支援については,今後も継続していくことが必要である。
イ 専門家が調停委員又は専門委員として関与する場合
建築関係訴訟の処理においては,争点の内容,瑕疵の性質や数等の当該事案の内容を踏まえ,当事者の意向をも考慮しつつ,話合いによる解決の可能性があると考えられる場合に,建築専門家を調停委員とする調停を活用する例がある。このような,いわゆる専門家調停では,建築専門家の調停委員と法律家の調停委員が,協働して話合いによる解決を見据えた争点整理を行い,当事者等の言い分に耳を傾けつつ,書証や現地見分などの結果を踏まえ,当事者双方に調停案を提示するのが通例である。
建築専門家の調停委員の建築に関する専門的知識を審理に導入するに際しても,建築界側への前記の情報提供が大切である。もっとも,調停委員については, 1.)具体的事件処理を離れて,当該裁判所に,ある専門分野の調停委員が存しないのでこれを補充するために建築界から適任者の推薦を受ける場面と, 2.)具体的事件処理を念頭に置いて,建築界から適任者の推薦を受けたり,既にいる調停委員の中から,適任者に関与を求めたりする場面の二つがあり,これらの各場面に応じて,建築界側へ提供すべき情報の範囲等は自ずと異なるものと考えられる。前者については,必要とする専門分野と共に,調停委員として期待される役割等についての情報をも提供することとなると考えられるのに対し,後者について,建築界側に適任者の推薦を依頼する場合には,鑑定人候補者の推薦手続について述べたことが当てはまり,また,既にいる調停委員の中から適任者を選任する場合には,当該候補者に対し,当該事案の情報を整理し,適切な方法で提供し,自らが当該事案について関与するにふさわしいかどうかを判断する材料を十分に提供することが重要となろう。
また,平成15年7月16日,専門委員制度の導入などを盛り込んだ「民事訴訟法等の一部を改正する法律」が公布され,平成16年4月1日から施行された。専門委員制度は,従前,建築関係訴訟を始めとする専門訴訟においては,専門的事項が争点となることが多く,争点整理に時間を要していたことなどを踏まえ,争点整理等の審理に必要な局面で速やかに専門的知見の提供を得ることができるようにするため,導入されたものである。その結果,裁判所は,争点整理はもとより,進行協議,証拠調べ,和解の各段階において,専門委員の関与を得て,専門委員から専門的事項についての説明を適時に受けることができるようになった。
専門委員の指定に際しても,基本的には,調停委員の場合と同様であり,問題となる局面に応じ,必要となる情報を十分に提供することが重要である。
(2) 当委員会における調査審議中に議論された事項について
ア 建築基準法令の実体規定違反と契約法上の瑕疵との関係
当委員会は,建築紛争事件の運営に関する事項の一つとして,建築基準法令の実体規定違反と契約法上の瑕疵との関係についての検討を行った。東京地裁及び大阪地裁からは,耐火被覆の厚さ,コンクリートのかぶり厚さ,鉄筋数等について,当該建築物が建築基準法令の定める数値基準を下回る場合に,注文者から,それらが建築物の瑕疵に当たるとの主張がされ,これに対し,建築関係者が,当該基準を下回っていることは認めるものの,その程度では建築物の安全性に影響はない旨の反論をするという事例が少なくないとの最近の裁判実務の動向が紹介された。この点に関連して,建築基準法令所定の基準を満たしているかどうかを判断するとしても,建築の性質に照らし,計測上も一定の誤差が生じることは避けられないから,上記判断には,実際上困難を伴うこともあるとの指摘もされる一方で,建築基準法令の定める基準は,建築物の安全性を確保する上で最低限守らなければならない基準であり,これを満たさないものについては,原則として瑕疵があると考えるべきであるという意見が有力に主張された。従来の下級審の判断においても,建築基準法の定める建築物についての安全基準等に違反する場合に,それらを瑕疵と認めたり,上記安全基準等に違反する程度が著しい場合には,公序良俗違反や強行法規違反等を理由に建築請負契約を無効とするものがあり,上記意見は,これらの裁判例の傾向とも合致するものである。
この点に関し,最高裁判所は,近時,居住用建物に使用された鉄骨が,たとえ構造計算上,安全性に問題がないものであるとしても,請負契約の当事者が,建物の耐久性を高め,耐震性の面でより安全性の高い建物とするため,より太い鉄骨を使用することが,特に約定されていた場合には,これが契約の重要な内容になり,これに反する細い鉄骨を使用した施工には,瑕疵があるとする判断を示したところである(最高裁平成15年(受)第377号同年10月10日第二小法廷判決・裁判集民事211号13頁,判例時報1840号18頁)。この判断により,契約において建築基準法令所定の安全基準を上回る内容を定めた場合において,業者が契約内容に違反する施工をしたときには,その建築物が建築基準法令所定の安全基準を満たすものであっても,その施工には瑕疵があると判断されることが明らかとなったが,この判例は,契約に明確な定めがない場合に,建築基準法令所定の安全基準をわずかでも下回ったときは,常に瑕疵があると考えて良いかどうかについて直接に判示したものではなく,この点については,今後の裁判例の集積により,判断基準が次第に明らかになっていくものと思われる。
また,最高裁判所は,一級建築士が,建築主との間で工事監理契約を締結しておらず,また,将来締結するか否かも未定であったにもかかわらず,建築主からの求めに応じて,建築確認申請書に自己が工事監理を行う旨の実体に沿わない記載をしたという事案において,当該一級建築士には,自己が工事監理を行わないことが明確になった段階で,当該建築主に工事監理者の変更の届出をさせる等の適切な措置を執るべき法的義務があり,これに違反した場合には,当該建築主から瑕疵のある建物を購入した者に対して不法行為に基づく損害賠償義務を負う旨の判断を示した(最高裁平成12年(受)第1711号同15年11月14日第二小法廷判決・民集57巻10号1561頁,判例時報1842号38頁)。この判例は,上記の結論を導く過程において,建築物を建築し,又は購入しようとする者に対して建築基準関係規定に適合し,安全性が確保された建築物を提供すること等のために,建築士には,建築物の設計及び工事監理等の専門家として,法律上,特別の地位が与えられていることを強調しているところであり,建築専門家に対する職業倫理の遵守を強く求めていることが注目される。この判例は,建築士が,専門家として特別の地位にあることを重視するものであって,直接的には,建築士を対象とするものではあるが,建築物の安全性が社会的に強い関心の対象となっている折から,建築関係者一般に対しても,建築基準法令の遵守が強く求められるのは当然のことであり,今後,建築基準法令の安全基準との関係で瑕疵の有無等に関する適切な判断基準を示す裁判例が積み重ねられ,それに沿った健全な実務慣行の普及が期待される。
イ 建築物の瑕疵による損害額の算定方法
建築物の瑕疵による損害の算定方法についても建築紛争事件の運営に関する事項の一つとして検討された。裁判実務上は,瑕疵による損害額の算定が問題となる場合には,鑑定や付調停の制度を活用し,積算等に関する専門的知見に基づき算出された修補に要する費用等を踏まえ,損害額の認定がされたり,話合いがされ,成果を挙げている。
損害額の算定が困難なケースとしては,瑕疵の修捕の方法として多種多様な方法が考えられる場合や,個別性の高い戸建住宅等のように類似例が少なく,その交換価値等の算出自体が容易ではない場合等が指摘された。
ところで,瑕疵による損害の算定に関連して,近時,請負契約の目的物である建物に重大な瑕疵があるためにこれを建て替えざるを得ない場合には,注文者は,請負人に対し,建物の建て替えに要する費用相当額の損害賠償を求めることができるとの最高裁判所の判断が示された(最高裁平成14年(受)第605号同年9月24日第三小法廷判決・裁判集民事207号289頁,判例時報1801号77頁)。この事案では,当該建築物は,建物全体の強度や安全性に著しく欠け,地震や台風などの震動や衝撃を契機として倒壊しかねない危険性を有するものであったとされている。どの程度の瑕疵があれば,上記の建て替えをせざるを得ないような「重大な瑕疵」に該当するかという点については,今後,この最高裁判決が示した法理を踏まえ,下級審において,徐々に実務の指針となるような裁判例の集積がされていくものと思われる。また,これと並行して裁判実務家や建築専門家らによる研究が進められることにより,実用に耐え得る判断基準が提示されることも,この種の紛争の解決にとって有益であろう。
3. 建築紛争の原因と紛争解決・予防のための方策等
(1)建築紛争の原因等
建築関係の分野は,専門的分野であり,建築専門家と注文者との間にはもともと専門的知識に格差がある上,建築契約は,設計段階では完成物が存在しないため,注文者のイメージと建築専門家のそれとに食い違いが生じやすい。また,建築物は,注文者にとっては一生に一度の大きな買物であり,それが自分のイメージと異なったものであったり,予期しない不具合が発見されたときは,感情的なわだかまりが生じやすく,紛争に発展しやすい。このように,建築紛争の主要な原因は,建築専門家と注文者との間の認識の食い違い又はそれを前提とする感情的対立という点に求めることができるが,さらに,近時,欠陥住宅などのずさんな工事に見られるような,建築専門家側に職業倫理上の観点から問題がある場合や建築専門家側の技術力が乏しい場合のほか,注文者が,施工を求める建築物が重大な建築基準法違反であることを認識しつつ施工業者との間で請負契約を締結するなど,注文者側に重大な落ち度が認められるような事例も見受けられる。
ところで,建築紛争事件においては,契約書が存在しない割合が相当高く,仮に契約書が存在した場合でも,その記載が簡略すぎたり,必要な取決めを欠いていたり,さらには,施工に要する図面等の書類が存在しないという場合も少なくない。ちなみに,中間取りまとめの際の調査結果によると,東京地裁では54%,大阪地裁では40%の事件において,契約書が存在しないとのことである(中間取りまとめにおいては,契約書等の現状について,契約の種類を「設計」,「施工」,「監理」,「追加・変更」及び「元請・下請」に分類し,その種別ごとの分析を行っているので,詳細はそちらを参照していただきたい。)。このように,両者の間の権利関係等を確定するための資料が不十分であることが,建築関係をめぐり,紛争が生じやすいことの原因の一つであり,しかも,契約内容を証明する重要な決め手となる証拠がないため,その紛争自体が複雑化しやすいこととなる。
(2)建築紛争の解決・予防のための方策
ア 適正な内容の契約書の普及等
前述のとおり,建築請負契約は,もともと建築専門家と注文者との間に認識の食い違いが生じやすい類型の契約と考えられるにもかかわらず,手掛かりとなるような書面すら十分に備わっていない状況は,建築に関する紛争の早期解決及び紛争の防止の観点から,早急に改善される必要がある。そのためには,建築請負契約における契約書面(契約書・設計図書その他の関係書面)作成の重要性が,建築関係者の間で十分に認識されることが必要である。
また,紛争の早期解決及び紛争予防のためには,単に契約書面があれば足りるものではなく,見積りや設計等の契約に至るまでの交渉内容・結果及び契約成立時点での両者の合意内容が適切に盛り込まれた契約内容であることが必要であり,その観点から,契約書の内容の充実・適正化が望まれる。特に,契約時において,報酬額や支払時期を明確に定めておくとともに,契約の中途解約に伴う報酬額についても,出来高に応じた割合の基準額が明らかとなるような配慮が求められるし,施工契約については,設計図書の添付等,資料の充実が求められる。加えて,注文者には建築の専門知識がないことを考慮すると,契約内容を明確にするため,契約書の記載を分かりやすいものとするといった配慮が必要なことはもちろんである。
特に,施工契約においては,当初の契約締結後に,工事の進捗に伴って,工事の追加や変更を要する場合が生じるが,これにより必要となる金銭的清算について,十分な契約書面が残されていないことから,紛争に発展することが少なくない。このような追加・変更契約については,その変更過程を書面化ないし記録化するなどの実務慣行が確立されることが,紛争の予防に役立つし,仮に紛争となった場合でも紛争が複雑化することを防止することにも役立つといえよう。
上記のような適正な内容の契約書面を作成するという実務慣行を十分に浸透させるためには,中間取りまとめでも触れたとおり,約款が普及することが有益であり,約款の整備が遅れている分野を中心として,その整備が望まれるところである。
イ 注文者に対する十分な説明等
建築請負契約に際し,以上のような適正な内容の契約書面が存在しても,建築関係者が,専門知識に欠ける注文者に対し,契約内容についての十分な説明を尽くさなければ,契約内容等に関する認識の食い違いをなくすことはできないと考えられる。もっとも,一口に建築関係者といっても,設計者,施工者又は工事監理者というように,説明をする者の立場や説明をする場面等に応じて,求められる説明の内容や程度などが異なり得るので,具体的にどのような説明をすべきかについては,一概に言えない。ただ,例えば,説明する事項(費用に関するものか,技術に関するものか,法令に関するものか,その他の事項に関するものか等),説明する時期(契約前の段階か,契約後の施工段階か,追加変更工事段階か等)その他の様々な観点から,問題となる場面ごとに注文者に対して必要となる説明の範囲・程度を十分に吟味した上で,適切な説明を行うべきであり,そうした説明が十分に行われることが,建築紛争を防止するために有益であると考えられる。この点に関し,近時,実務では,注文者の理解を容易にすべく,施工過程等における節目ごとに,建築関係者が,注文者に対し,建築現場において説明をするという工夫も見られるところである。建築関係者と注文者との認識の食い違いをなくすという観点から,建築関係者は,今後とも,十分に分かりやすい説明をする努力を重ねていくことが求められているといえよう。
以上のような分かりやすい説明に向けた建築関係者の努力と共に,建築請負契約の締結に際し,注文者の理解を助け,注文者と建築専門家との間の認識の食い違いが生じるのを防止すべく,注文者を補助する役割を担う専門家の養成が期待される。また,現在,住宅の品質確保の促進等に関する法律に基づき,住宅紛争処理支援センター(同法78条参照)において,住宅購入時のアドバイス等を含む住宅全般に関する相談業務等が行われているが,このような一般市民が利用できる相談機関の一層の拡充などの手当がされることも紛争予防の観点から有用であると考えられる。
ウ 建築専門家の職業倫理の普及,啓発等
建築専門家の職業倫理の在り方に関連し,前掲の最高裁判決(平成15年11月14日第二小法廷判決)では,建築士には,その業務を行うに当たり,建築基準関係規定による規制の潜脱を容易にするような行為や,その規制の実効性を失わせるような行為をしてはならないという法的義務があるとする判断が示されており,これを踏まえ,建築専門家に求められる職業倫理に合致した実務が行われることが期待されるが,このような観点から,平成16年7月に,日本建築学会内部に設置され,倫理要綱,行動規範の普及,啓発等を行っている倫理委員会の活動が注目される。
エ 小括
このように,建築専門家による職業倫理の保持が一定の紛争の予防になることはもとより,前記ア及びイのような,契約関係の書面化の励行と建築関係者からの十分な説明は,紛争の予防に資するのみならず,不幸にして紛争に発展した場合でも,十分な証拠が得られることなどを通じ,合理的期間内の適正な紛争解決に資するものと考えられる。
本答申を一つの契機として,今後,これらの点が実務慣行として確立されていくことが望まれる。
第4 最後に
前述のとおり,近時,社会的に問題となっている欠陥住宅の問題などを契機として,建築トラブルに対する社会的関心はますます高くなっており,今後も建築紛争事件が増加していくことが予想される。建築紛争事件は,前述のとおり,その性質上,通常の民事事件と比べ,審理期間が長期化する傾向にあり,当事者には,精神的にも経済的にも負担がかかることからも,建築紛争事件を未然に防止し,さらに,紛争に至った場合でも,速やかな解決に導くことが,これまで以上に強く期待されている状況にある。
こうした期待にこたえるためには,建築界と法曹界の相互理解を更に深め,連携をより密にしていくことが必要である。
また,建築紛争の防止及び紛争の早期解決のためには,建築界と法曹界の相互理解の推進と共に,建築関係者の注文者に対する十分な説明及び適正な内容の契約書面の作成という健全な実務慣行の普及が欠かせない。こうした実務慣行を浸透させるためには,建築関係者に対し,紛争の解決及び予防の観点から,適正な内容の契約書面を作成すること及び注文者に対して十分に説明を尽くすことが重要であることについて,裁判における現状をも踏まえつつ,今後も引き続き情報発信を行うとともに,注文者となり得る一般人に対しても,建築紛争の原因等のほか,契約書面を作成することの重要性について,分かりやすく説明し,契約書面の重要性について理解を求めることが重要である。また,建築専門家の職業倫理との関係でも,建築界の活動を通じて専門家にあてた職業倫理に関する情報発信をすることが欠かせないところである。このような観点から,現在,建築界において行われている建築専門家を対象とする紛争を未然に防ぐための職業倫理等に関する情報発信や,裁判所等の協力も得つつ行われている講演会等の取組を継続,発展させていくことが重要であると考えられる。
当委員会は,今後も,建築界や法曹界におけるこれらの取組を見守りつつ,建築界と法曹界との相互理解を推進する立場から,建築紛争の未然防止や紛争の適正かつ迅速な解決のために必要となる諸活動を継続していく考えである。
平成17年6月
建築関係訴訟委員会